松尾大社の神幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。(1) 発御祭
松尾大社の松尾祭・神幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
松尾大社。
一般的な認知のされ方としては、お酒の神様という感じなんでしょうか。
あるいは、近所の料亭に生前の某マイコーが来損ねて、サインだけ残ってるとか。
しかし、京都的には違うのであります。松尾大社は、何といっても洛西総氏神なのであります。
平安遷都以前よりこの地を開発していた渡来系・秦氏が、土着の松尾山磐座信仰と結びつき、創建。
秦氏が平安京造営を支援したことで皇室の御崇敬も篤く、賀茂社と共に皇城守護の社に指定。
大祭の松尾祭も、「松尾の葵祭」という通称が今も残る通り、かつては賀茂祭と同じく勅祭でした。
しかし、朝廷の力はやがて衰微。で、代わって松尾大社と祭を支えるようになったのが、氏子。
中世以降、祇園御霊会を下京の町衆が支えるようになったのは有名な話ですが、
それと似たような感じでしょうか。鎌倉時代には既に祭祀組織が存在してた記録もあるとか。
ただし、祇園会は町衆が主導権を握ったのに対し、松尾を支えたのは、村人。
京都の都市域が東へスライドしていくのに従い、右京・西京は近隣の農村地帯と次第に同化。
住宅街化したのも最近の話であり、そのため、松尾大社とその祭をとりまく共同体のあり方は
祇園会 = 祇園祭のように観光化により変形されることなく、中世の香りをよく伝えてるといわれ、
また松尾祭は京都では珍しいくらいに勇壮で大らかな盛り上がり見せることで知られます。
現代の松尾祭は、神幸祭が4月20日以降の日曜、還幸祭がその三週間後の日曜に開催。
神幸祭では桂川を神輿が渡る船渡御、還幸祭ではワイルド極まる宮入りが有名ですが、
今回は神幸祭、通称「おいで」を丸一日、追っかけてみました。
阪急電車松尾駅を下車してすぐ辿り着いた、午前9時の松尾大社・赤鳥居前。
船渡御に用いられる神船と駕輿丁船が船置場から出され、トラックの荷台に積まれてます。
もちろん、船渡御が行われる桂離宮の前の河原へ運ぶわけです。
「おいで」と書かれた楼門をくぐり、続々と境内へ参集する、白法被に鉢巻ぞうりの轅下の方々。
轅下。「えんか」ではなく「ながえした」。神輿をかつぐ人たちです。
神輿を支える2本の舁き棒=轅と呼ぶので、轅下=神に奉仕する者というところでしょうか。
17日の山吹まつりライトアップの時には今イチの咲き加減だった山吹も、すっかり満開。
境内では、神輿の「蔵出し」や「からみ」の真っ最中。
写真は、「から」まれてる=組み立てられてる大宮社の神輿。
松尾大社と縁の深い西寺跡周辺の氏子であり、松尾二柱大明神を奉斎する神輿の駕輿丁役です。
神輿殿から出された神輿は、拝殿を囲む形でセッティングされ、各々「からみ」が行われます。
凄い数の人が動き回ってますが、この人たちはあくまで先発隊。本隊は後から来るそうです。
発御祭などの神事が行われるそうなんですが、境内はごった返してるので、よくわかりません。
神輿の飾りつけが進む中、吉祥院から二人の稚児の奉仕により、榊につけられた御面が到着。
男神面と袋に入れられた女神面を合わせる「面合わせの儀」が行われる、そうです。
やはり境内がごったがえしてるため、何が何だか、よくわかりません。
そのうちに、金属の取っ手みたいなものを頭上に捧げた若衆を中心にして、
本隊らしき白法被の大集団が飛び跳ねながら境内へ雪崩れこんできました。
ゲラゲラ笑ったり、奇声を上げたり、踊ったりと、ちょっとしたカーニヴァル状態です。
「金属製の取っ手みたいなもの」というのは、鳴鐶(なりかん)であります。
轅の先に取り付け、京都の神輿独特のシャカシャカという音を生む、サウンドマシーンです。
ひとしきり境内で景気よく騒いだのち、自分の社の神輿へ行き、鳴鐶を轅に装着します。
続々と境内へ乱入してくる、鳴鐶の衆。気持ちいいくらい、やんちゃな方々が揃ってます。
単にコミカルに飛び跳ねてるように見えますが、跳ね方は鳴鐶がよく鳴る、独特のものです。
で、遷霊。松尾大社の分霊に、神輿へ遷っていただきます。
轅下一同が低頭でお迎えする中、神職が神事を執行。
神様が乗っていただいたら、差し上げ、そして拝殿回し。
「ホイットホイット」と連呼+鳴鐶を鳴らしまくりながら、各社の神輿が拝殿を3周します。
拝殿回しが終わると、月読社から順に本社を出発、楼門をくぐって参道へ。
楼門の階段では時々足を踏み外す人もいて、神輿が傾く可能性もあります。
あんまり近づくのは、スリルを通り越して危険かも。
屋台でいっぱいの参道をびっしりと埋め尽くす、轅下の男達。
我々ディープサウスの人民より微妙に言葉使いが優しい気がするのは、気のせいでしょうか。
「わかったねえ」とか。客の誘導などもが、やはり微妙に優しかったりします。
神輿は、赤鳥居の前で台車に乗せられ、船渡御が行われる桂離宮前の河原まで巡幸。
私は阪急に乗って松尾駅から桂駅まで移動し、船渡御へ先回りします。
ここまで祭を見て感じたことは、熱くてかつ醒めてるな、と。
掛け声やアナウンスなどは絶叫系で熱いですが、聞いてる外の担ぎ手は吹いてる、みたいな。
全員が同じノリを共有してるわけではなく、といってやる気がないわけでもない、みたいな。
こんなもんかなと思いながら見てましたが、しかしこの後、
それが大きな勘違い、単なるパワーセーブであったことを思い知らされるのです。
ここでの客層は、地元と近隣の中高年と、担ぎ手の身内・関係者がメイン。
中高年は一眼率が高く、カメラサークルみたいな感じの人、多し。男の単独も、ほぼ全員カメラマン。
カップル率、低し。異常なまでに低し。若者の数自体が少ないですが、それ以上に少ないです。
で、何故か単独女性は多し。学術調査か何かみたいな風情のもいましたが、
明らかにディープや腐、間違っても担ぎ手の彼女だったりはしないタイプの方が目に付きます。
観光客や観光ハイやリア充ワナビーな子供は、皆無。完全に地元モード。
松尾大社 神幸祭(2) 神輿船渡御へ続く
松尾大社の神幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 (1) 発御祭
松尾大社の神幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 (2) 船渡御
松尾大社の神幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 (3) 七条通巡幸
松尾大社の還幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 (2014) 【前篇】
松尾大社の還幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 (2014) 【後篇】
松尾大社 松尾祭 / 神幸祭 発御祭
4月20日以後の第一日曜日 10:00~
会場 ・ 松尾大社 境内
京都市西京区嵐山宮町3
阪急嵐山線 松尾駅下車 徒歩約1分
京都市バス 京都バス 松尾大社前下車
徒歩約1分
Wikipedia 松尾大社