2014年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。
2014年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。
あなたは知ってるでしょうか。元旦の深夜は寒いということを。
元旦というのは、あの元旦のことです。1月1日とも呼ばれたりする、あの日のことです。
で、深夜というのは、遅い夜のことです。具体的には、22時から翌5時ぐらいの時間のことです。
元日のこの時間帯って、寒いんですよね。寒いって言葉では全然足りないくらい、寒いんですよね。
特に京都は、夏の頃は 「俺を殺す気か!!いやもういっそ殺せ!!」 って思うくらい暑いのに、
冬は死ぬほどというか、比喩ではなく明確かつ具体的に死の恐怖を感じるくらい、寒いんですよね。
あ、そんなことは知ってますか。百も承知ですか。それはまあ、そうですよね、安心しました。
じゃあ、いきなり本題に入りますが、京都で年越しなんてもう、やってられないんですよ。
2011年の時みたいに、時ならぬ大雪が降る大晦日の昼に円山公園&清水寺へ特攻かけたり、
高台寺行って除夜の鐘撞き損ねたりとか、翌日も寝ずにうろついたりとか、やってられないんですよ。
また2012年の時みたいに、年始早々伏見稲荷の山を巡ったりとか、やってられないんですよ。
さらには2013年の時みたいに、真っ暗な嵯峨野で除夜の鐘難民化とか、やってられないんですよ。
と、こうやって過去の年越しネタを並べると、明らかにうろつくボリュームが年々減ってますが、
それくらいこのネタ、帰ってしばらくは頭痛や脚痛で動けなくなるくらい、体がガタガタになるんですよ。
というわけで2014年度の年越しネタ、前後編に分けることなく、1本の手抜きな内容です。
いや、誰に頼まれてやってるわけでもないので、そもそも手抜きもひったくれもない話なんですが、
とにかく己の体をいたわるべく、ゆっくりと、そしてのんびりと、浅~く浅~く、うろつきました。
うろついたのは、岡崎→黒谷→蹴上といったエリア。この選択にも、特に大した理由はありません
単なる気まぐれ+私がおけいはんの民ゆえ、不調の際は電車ですぐ帰れるよう、日和っただけです。
ただ、徒歩圏を適当な彷徨う仕様である分、気まぐれにうろつく 「普通の年越し」 的内容に、
真人間も参考に出来る 「普通の年越し」 的内容に、あるいはなってると言えるかも知れません。
「なるわけがない」 とも思いますが、とにかく孤独な年越し、行ってみましょう。
とか言いながら、いきなり大晦日の20:20、嵐電西院駅前を歩いてるの図。
昨年&一昨年と振られ続け、 「宿題」 化している西院のお好み焼店・野口商店へ行くためです。
いや、 「年越しお好み焼」 という 「宿題」 を済まさねばならぬ理由は、特にこれといって、ありません。
が、年越しにうろつく理由だって、そもそもはありません。そこに年越しがあるから、越すんですよ。
そこにお好み焼があるから食うのだ、と己を無意味に鼓舞しながら四条通を西進し、
年越しで沸くDQNな若者がやや多い阪急西院駅前をスルーして野口商店へ着くと、店、休業中。
そこにお好み焼は、なかった。と、告げる 「しばらく休まさせてもらいます」 という超ネイティブ張り紙。
しょうがない。また宿題にして、帰ります。いや、除夜の鐘まで時間があるので、蕎麦食おうかな。
西院近辺の蕎麦といえば、都そばしか思いつかん。で、行くと、既に店じまい。早い。
やむなく他の蕎麦屋を探し、辨慶の前を通り過ぎたり、藪庵がなくなってるを確認したりするうち、
地下鉄西大路御池駅へ着いてしまい、そこで東山駅近くに蕎麦屋・枡富があるのを思い出しました。
あそこで蕎麦食って、あの辺で除夜の鐘と初詣、やるか。と思い、年越ダイヤの地下鉄に乗車。
この辺なら、疲れてもすぐ京阪で帰れるし。とか思いながら、東山駅で地下鉄を下車。
知恩院へ向かう大中国人を避け、東大路三条でおけらを回す人を見たりしながら、歩くことしばし。
で、22時に枡富へ着くと、枡富、営業してました。普通に 「いらっしゃいませ」 と言われたので、入店。
22時半で終わりとか書いてありましたが、そのためか何なのか、他の客はなし。ついてます。
でも、狭い店ゆえ混むと困るので、入口近くの席に座り、メニューを眺めるの図。
メニューは、大晦日用。晦日蕎麦と、上晦日蕎麦、それに煮物と御飯がついた定食、そして酒。
晦日蕎麦と上晦日蕎麦の違いが分かりませんでしたが、勘定の楽さ+見栄で、上晦日蕎麦を注文。
にごり酒も飲みたかったですが、この日はあまり寒くなく、店内も暑いくらい暖かいので、パス。
やっぱり他の客はもう来ないかと思ってたら、やっぱり他の客が数組入ってきて、
客の一人が定食の内容を訊くのを聞いてやっぱり気になるわなと思った頃、上晦日蕎麦、登場。
上晦日蕎麦、汁蕎麦に焼餅が載ってました。汁の中には、ちょこっとだけですが鴨肉も入ってます。
出汁&蕎麦、共にベーシックな味わい。一気に啜り込み、ごちそうさま。さて、どこへ行こうかな。
そうだ、知恩院の鐘撞きの混雑加減を見ておこうか。と思い、神宮道へ出て知恩院へ。
で、人がウロウロ歩いてる中に紛れ知恩院前へ着くと、既にもう、とんでもないことになってました。
黒門の辺から神宮道を延々と進み、三門も通り過ぎ、南門手前の道の奥にまで続いてしまう、行列。
皆、鐘撞きを待ってます。八坂神社から流れてきた見物人も、多し。大型バスも、多し。地獄です。
知恩院の近くの青蓮院にも、行列あり。地獄というほどではないですが、しんどいです。
あ、知恩院前の客層は、若者6割+それ以外4割という感じ。観光系と近隣系は、半々程度かと。
近隣系は、地元民ではなく、電車で来たような連中。グループ率が高く、鬱陶しさが半端ありません。
青蓮院は、知恩院前の層に20代のまともなのと地元系を増やした程度でしょうか。しんどいです。
混雑を避けて神宮道を北上し、今度は初詣の人間洪水を待つ平安神宮へ寄りました。
「いつもラジオを鳴らしてるホームレスは里帰りしたのか」 と思いつつ舞妓はんトイレで放尿の後、
神宮道の応天門正面へ出てみると、多くの露店が準備を始め、いくつかは既に営業を開始してます。
0時までまだ時間があるためか人出は全然ですが、DQNな皆さんは既に集結中。しんどいです。
山元麺蔵 or 岡北が開いてたら年越しうどんも食いたいとか思いつつ岡崎通へ出て、
何故か開いてる六方焼屋をスルーして丸太町通まで来ると、御覧のような黒谷さんの張り紙あり。
黒谷さん = 金戒光明寺。23時から除夜の鐘の整理券を配布し、22時からは年越蕎麦も出す、と。
整理券がゲットできるかはわかりませんが、蕎麦はまあ、食えるだろ。黒谷さん、行ってみるか。
と思って、ちょこちょこと同好の士がいる通を歩いて、黒谷さんへ向かうの図。
知恩院周辺と全然違う人出ですが、御覧のように山門のライトアップは知恩院に負けてません。
それに、人が少なければ鐘も撞き易いし。とか思って境内へ入ると、整理券待ちの人が既に集結中。
150人~200人くらいでしょうか。これはちょっと、無理。と、即座に鐘を諦め、蕎麦ですよ、蕎麦。
キャンドル行灯に照らされながら休憩所へ行き、今年二度目の年越蕎麦を食らうの図。
300円の蕎麦は、 「午」 と書かれた蒲鉾が乗る他は、普通。でも、寒い中で食うと抜群に美味。
食ってる途中、説教か何かやってた本堂の中から坊さんが出てきて、鐘の整理券を配り始めました。
境内の人達、殺到。で、券をゲットすると、先着順で鐘打ち待ち行列。これはやはり、無理。
と、諦めたまま蕎麦を食い切り、真如堂でも行くかと思ったら、整理券、まだ配ってました。
で、私もめでたくゲット。坊さんは、 「ひとり一枚」 「全部で350枚」 みたいなことを言ってましたよ。
ここの客は、地元系が多し。全体の7割くらいが地元系でしょうか。そこら中で挨拶が行われてます。
並ぶのはちょっと、浮くなあ。撞つのは後でもいいから、人が減るまで真如堂でも行こうかな。
というわけで、暗くて人が全然いない道をちょっとだけ歩いてやってきた、真如堂。
真如堂 = 真正極楽寺。黒谷さんとは、ほとんど地続きのような近所で、徒歩2~3分でしょうか。
真如堂、門はしっかり開いてますが、除夜の鐘に関する告知の張り紙や看板の類いは、全然なし。
やってるのかなとか思ってると、後ろから 「あと何分」 とか言って中へ入る人あり。やってますね。
鐘がある境内へ行くと、30人ほどが鐘撞き待ちで行列中。こちらは、整理券とかはなし。
近所ゆえか黒谷さんと変わらん客層ですが、若者率&外人率は高め。とにかく、待ってられん。
なのでとっとと黒谷さんへ戻りますが、その前にお茶屋の前で奉仕されてた甘茶を頂くこと、しばし。
100円志納して坊さんに淹れてもらった甘茶は、実に甘く、そして濃い甘茶でございました。
で、黒谷へ戻ろうとしたら、鐘の行列が御覧のように物凄く伸びてた・・・。
いや実を言うと行列は、真如堂への道の途中まで伸びてた・・・と嘆いてると、坊さん達が鐘楼へ。
坊さん達、鐘楼で経を読んだりしてから、ゴーン。で、並んでた人達が一人一本ずつで、ゴーン開始。
行列、全然消化されません。というかむしろ、減る以上のスピードで新たに並ぶ人が増えてます。
0時ちょっと前のこの頃、整理券の配布が終わりみたいな声が聞こえました。
もらいたくてももらえない人も、いただろうな。でも人が減るのを待ち続けるのも、正直、ダルいな。
脳内に響き始めたそんな悪魔の囁きを、0時から始まった修正会の声で消しつつ、待つこと、しばし。
山門の逆光のビジュアルがいいことや、年越蕎麦売り切れの様を、無意味に凝視したりもして。
しかし、 「ト~はトンズラ~のト~」 という歌が遂に幻聴で聞こえるようになったため、
トンズラはしないけど、トンズラは絶対にしないけど、近場でちょっと暇潰しをすることにしました。
永観堂、行こうかな。あそこも除夜の鐘、やってるし。写経も、やってるし。でも、間に合わないかも。
と考え、ここなら大丈夫だろと思いやって来たのが、岡崎神社。そう、神社です。そう、初詣です。
空しくなるのが嫌なので、しばらく時計を見てませんが、多分もう0時は過ぎたはず。
なので、初詣をしてもおかしくありません。順番が違いますが、神前ではそんなことなど、些事。
というわけで、初詣。のみならず、おみくじも引きましたよ。末小吉でしたけど。罰当たったのかな。
元旦0時の岡崎神社は、人、少なめ。近所の方も、まだ除夜の鐘を待ってるのかも知れません。
で、初詣もすっかり済ませた清き身で、改めて除夜の鐘を撞つべく、黒谷さんへ。
が、行列、全然減ってません。で、至る所で知り合い同志による新年挨拶が繰り広げられてます。
「あけましておめでとうございます」 的なことをひとしきり言い合い、それからゴーンと鐘を撞くという。
また、他所から流れてきた観光グループが、列に並ぶ度に要整理券の説明を食らってました。
で、25時を過ぎた頃、やっと行列が30人を割ったので、最後尾に並びました。
しばらくすると後に地元のおじさんが来て、 「今年は1時まわってしもたな」 。何か、すんません。
無駄な混雑を助長して、すんません。初詣も先にやって、すんません。と、恐縮気味で私も、ゴーン。
後のおじさんもゴーンとやると、奉仕の人達が速攻で撤収準備を開始。また何か、すんません。
黒谷さんを出て、さあ今度はどこへ行こうかなと考えながら丸太町通を渡ると、
平安神宮の方向から狂った猿の如き声が聞こえたので、ネタを拾うべくもう一度、平安神宮へ。
年越ししたばかりとあって、それなりの規模の人出で混んでます。が、元日昼間ほどではありません。
客の阿呆単価が高く、それで喧しいという。御籤所から響くシェーカー音の凄まじさは、異常の域。
応天門前の露店ゾーンからも、狂った猿の如き声はそこら中から聞こえてきます。
ここの客層は、改めて言うまでもないですが、阿呆の輩ばっかり。男のグループ率、異常に高し。
電車で来た近隣系ばっかりというか、宵山の騒ぎから若い阿呆のDQNを抽出したような、馬鹿世界。
馬鹿め馬鹿めと思いつつ、即、トンズラでございます。が、馬鹿といえば今年って、午年でしたね。
馬の神様も一応、参っておこうか。と思って来たのは、すぐ近くの粟田神社。
いや、ここの神様は馬の神様ではありませんが、馬象があるんですよ。写真奥の石段の辺に。
平安神宮は狂った猿の如き声で溢れてましたが、徒歩数分のこちらは無人に近いくらい、ひっそり。
ただ全く無人ではなく、ちょこちょこと好き者風や地元の若者、剣鉾関係らしい人達が和んでます。
和んでいる人達が 「おみくじ、今年のんは可愛いなあ」 とか言ってたので、
お参りを済ませた後、鳩の形の紙を鳩の形に結んだその可愛いおみくじを、私も引いてみました。
出目は、中吉。 「今まで苦手だったことが、すんなり行きそう」 みたいなことが、書いてありましたよ。
何がすんなり行くようになるんでしょうか。下世話な客引きが上手に出来るようになるんでしょうか。
おみくじの後、御覧のように志納制のにごり酒が用意されてたので、頂きます。
にごり酒、アルコール分は割と弱めで、トロ味とコクが前面に押し出したテイスト。実に美味です。
こういう小さな幸せをネタに、 「元日の京都でにごり酒を飲む!」 みたいな恥知らずなタイトルを付け、
ちゃんと客を呼べる記事を、今年の私は作れるようになるのかと思いながら、微酔い気味で退社。
粟田神社を辞した後、日向大神宮で元日朝に若水神事があるのを思い出しました。
蹴上の奥にある、日向大神宮。正直、行くのが面倒な所ですが、ここからならまあ、近いかなと。
で、ただただ孤独に深夜の三条通を東進。あ、でも、留学生か何かの外人集団とはすれ違ったけど。
外人集団、三条通の真ん中で、はしゃいでましたよ。向こうにもゆとり教育とかあるんでしょうか。
近いだろうと思って歩き始めたら、結局15分ほどかかった後、日向大神宮に到着。
あ、ここの 「日向」 は、 「ひゅうが」 ではなく 「ひむかい」 であります。私もつい最近、知ったけど。
「野生イノシシに注意」 などの看板を横目で眺めつつ、人気が無くて怖過ぎる参道を登ること、しばし。
目を凝らせば、周囲は宅地開発が進んでたりしますが、深夜ゆえか山のオーラはあくまでも、深し。
進めば進むほど坂が急化&不気味さ倍増の道を進んで入った、日向大神宮境内。
写真、何が写ってるか不明瞭ですが、現場が暗かったので、私も何を撮ったかよくわかりません。
多分、内宮だと思います。神事狙いなのか、暗闇の中でおばさんが脚立持って構えてました。恐怖。
社務所の前では、氏子さんらしき人達が、テントで飲み中。ですが、人数自体はあくまでも少なし。
内宮の奥には、天の岩戸もあります。やはり暗くて、不明瞭極まる写真ですが。
岩戸の奥には山道が続き、案内板には 「南禅寺」 とありましたが、見えるのはひたすらに、闇。
そういえばこの辺で、阿呆の若者達とすれ違いました。嬌声を上げて騒ぐ、いわゆる阿呆の若者達。
●ねばいいのに。そう思いながら、そろそろ若水神事の時間なので、人が集まってる社務所へ。
やはり真っ暗な中で目を凝らして外宮など見てるうち、3時、若水神事が始まりました。
社務所の戸が開けられ、15人ほどの暗くて素性不明の客&さっきの氏子さん達が見守る中、
室内に用意された祭壇らしき何かで献饌か何かが行われ、それが終わると神職と巫女さんが外へ。
見物人達をお祓いしてから、そのまま外宮の奥、祠のように見える 「朝日泉」 へ向かいます。
さっきのおばさんとカメ若干名が既に張っている 「朝日泉」 にて、神事、開始。
始まると、画像が歪むくらいにとんでもない数のフラッシュがバシャバシャバシャバシャバシャ
バシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャ
バシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャ。
昼の如きフラッシュ&補助光の妖しき赤色光に照らされながら、神事は淡々と進行。
報道の取材か何かと思いきや、氏子さんらしき人達は口々に 「今年はカメラ酷いな、多いな」 。
バシャバシャバシャバシャバシャバシャという激光の中で、何が何だかわからん内に神事は終わり、
神職と巫女さんが社務所へ戻り始めると、カメの連中も脚立を慌てて抱え、民族大移動を開始。
一旦社務所へ入った神職と巫女さんは、また外へ出てきて、厳かに四方拝。
その後、宮司さんが挨拶をされてる時に、阿呆の若者達の姿が見えないことに気がつきました。
山道を歩いて行ったんでしょうか。ならば、●ねばいいのには、撤回。本当に死ぬかも知れないので。
ここの客層は、暗いのでよくわかりません。概ね烏合で、人数は20人程度という感じでしょうか。
挨拶が終わると、巫女さんがまた出てきて、日向大神宮の飴をもらえました。
飴は、綾小路富小路の今西製菓製。写真は、帰りの地下鉄蹴上駅で改めて喜びを味わうの図。
というわけで、2014年度の年越うろつきは、これにて終了。日向大神宮のプチ登山で、疲れました。
帰りには一応、午年ゆえ藤森神社に寄ろうと京阪に乗りましたが、寝てる間に通過しましたとさ。
各スポットの客層については、それぞれの箇所で記した通り。
全体の寸評を出すとしたら、まあまあといった感じになるんじゃないでしょうか。
平安神宮のような地獄もあれば、粟田神社のような穴場的雰囲気が漂う所もあり、
また日向大神宮のように好き者が妙に集まってる所もあります。
なので一概には言えませんが、全体的にはまあまあといったところでしょう。
アクセスや食事などにさほど不便があるエリアではないので、
この辺をうろつきながらのんびり年を越すのも、いいんじゃないでしょうか。
そんな、京都の年越し。
好きな人と越せば、よりゆく年くる年なんでしょう。
でも、ひとりで越しても、ゆく年くる年です。
2013年への年越しを、嵯峨嵐山で迎えました。もちろん、ひとりで。 【前篇】
2013年への年越しを、嵯峨嵐山で迎えました。もちろん、ひとりで。 【後篇】
2012年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。 【1】
2012年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。 【2】
2011年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。 【1】
2011年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。 【2】
2011年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。 【3】
枡富
京都市東山区大井手町103
市営地下鉄東山駅下車 徒歩約3分
京阪電車 三条駅下車 徒歩約11分
桝富 (ますとみ) – 食べログ
金戒光明寺
京都市左京区黒谷町121
京都市バス 岡崎道下車 徒歩約5分
京阪電車 神宮丸太町駅下車 徒歩約18分
浄土宗大本山・くろ谷 金戒光明寺 – 公式
岡崎神社 京都市左京区岡崎東天王町51 市営地下鉄 蹴上駅下車 徒歩約15分 岡崎神社 – 公式 粟田神社 市営地下鉄 東山駅下車 徒歩約7分 粟田神社 – 公式 |
日向大神宮
京都市山科区日ノ岡一切経谷町29
市営地下鉄 蹴上駅下車 徒歩約15分
日向大神宮 – 公式