2017年への年越しを、永観堂で写経だけをして迎えました。もちろん、ひとりで。
2017年への年越しを、永観堂で写経だけをして迎えました。もちろん、ひとりで。
当サイトではこれまで毎年の年越しに際し、様々な寺で除夜の鐘を撞いてきました。
徘徊の挙句に撞けなかった年もありますが、とにかく他所者としてネイティブな場へ紛れ込み、
本来は近所の人が顔を合わせて撞く鐘を、気後れと気まずさを感じながら、撞いてきたわけです。
この気後れと気まずさ、地元・八幡でさえ 「移民の子」 という自覚ゆえ逃れられなかった私は、
やがて払拭を求めるようになり、2016年には本籍地の隣・南丹市船枝に立つ京都帝釈天へ遠征。
ルーツとも言える地にて、参道に並ぶ108個の鐘を遠慮なく&思う存分撞きまくったんですが、
この撞きまくりにより、私の中にあった鐘への欲求は何か、昇華されてしまいました。
鐘は、もういい。撞く必要性を、感じない。そもそも、年越しだから鐘を撞くなんて、もう古いですよ。
むしろ、鐘に捉われないことにより、今まで見ることが出来なかった年越しの相貌を見てみたい。
欲求の昇華により、魂が次のステージに入ったのか、私はそう考えるようになったのでした。
とはいえ、単に除夜の鐘をやってない寺を訪れ、何らかの祈願をするだけでは、流石に味気ない。
鐘は撞かず、でも多少は年越し感のある行事をやってる寺へ、行きたい。でも、そんな寺、あるかな。
という疑問を速攻で抱きましたが、その答えはやはり速攻で見つかりました。永観堂です。
永観堂。正式名称 「秋はもみじの永観堂」 。というのはもちろん嘘で、聖衆来迎山無量寿院禅林寺。
浄土宗西山禅林寺派総本山なわけですが、一般的には無論、紅葉の名所として有名であります。
ゆえに、紅葉以外には幼稚園の園児募集ポスターぐらいしかイメージがない寺なんですが、
年越しでは 「聖衆来迎」 の名に相応しく、無量ならぬ無料で鐘楼を開放して、除夜の鐘を実施。
のみならず、名物 「みかえり阿弥陀」 を祀る阿弥陀堂では、写経も行われるのです。これですよ。
というわけで今回の年越しは、写経の為だけに、永観堂を訪寺。鐘は、撞きません。
「にらみ鯛」 ならぬ 「にらみ鐘」 とでも呼ぶべき新たな年越しスタイルを提案したいと思います。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。当サイトが当サイトである為に必要な挑戦なのです。
決して、鐘を待って並んだり突っ立ったりするのが、単純にしんどくなったのでは、ありません。
断じて、年越しネタ自体がいい加減ネタ切れ+飽きが来てるわけでも、ありません。
で、大晦日の22時、京阪電車・三条駅を出発。永観堂まで、2時間徘徊しながら向かいます。
あ、永観堂の最寄駅、三条駅ではありませんよ。駅なら、蹴上駅。バスなら、南禅寺永観堂道です。
ただこの鴨川東の辺、平安期は永観堂の寺領だったともいうので、全く関係ない徘徊でもありません。
三条を出たら孫橋通へ入り、東へ。狭い道ですが、荒い車が、多い。特に帰省車らしき車が、荒い。
で、年越しに際して、とりあえずは身を清めます。孫橋湯も良いですが、今回入ったのは柳湯。
柳湯。渋い銭湯が多い京都にあっても、ブチ抜きで最上級のナチュラルな激渋さを誇る名銭湯です。
やはり激渋な中へ入ると、脱衣場が地元の人達でほぼ埋め尽くされ、年越しの挨拶が交わされまくり。
私も番台で430円払い、脱衣場の隅で駕籠へ服を放り込み、駕籠を木製ロッカーへ放り込み、入湯。
時折 「誰やっけ?」 という顔で顔を見られ、 「すんません、闖入者です」 と思いながら、洗体。
間違いなく京都で最小級であろう小さな浴槽は、完全に満員状態。なので、入るのを遠慮しました。
で、すぐ上がり、木製ロッカーから駕籠を抜き出し、脱衣場の隅で着衣。で、混んでる為、すぐ出ます。
客全員へ丁寧に 「おおきに」 と言ってる番台の人から、やはり 「おおきに」 と言われながら、退湯。
上着を着ながら、また道を歩き始めました。で、歩きながら、蕎麦をどこで食おうかと考えました。
永観堂の前には蕎麦屋があるけど、開いてるか不明。懐古庵受付の狸に訊いても、分かりません。
どうしようかと考えてると、二条イオンに入ってる 『志な乃』 を思い出しました。あそこ、寄ってみるか。
あそこ、出汁の匂いは良かったしな。とか思いながら、北へ。蕎麦を想いながら歩く冬道は、寒い。
で、二条通に出て少し東へ歩くと、イオンのビル下部に、蕎麦屋の灯火あり。流石、大晦日。
『志な乃』 、暗さで逆に救われてますが、古いイオンの1Fであり、隣はピザ屋。何ともな、外観です。
ゆえに空いてるだろと思い入店すると、カウンター10席弱+テーブル3~4くらいの店内は、ほぼ満員。
やっぱり美味いんだなと確信し、30cm隣で調理のフィニッシュをやってるカウンターの隅に、着席。
メニューは、特に大晦日仕様というわけでなく、普段通りな感じ。で、頼んだのは、天ぷら蕎麦。
出汁をまず啜ると、美味い。返しの強いタイプと逆の出汁。それでいてしっかり、蕎麦出汁。美味い。
蕎麦も、美味い。 「23時半、●●寺とこの●●さん」 といった出前声を聞きながら、一気に貪り食います。
後客も、続々入ってきました。美味い店はやっぱり知られてるな、と感心しながら食い終わり、退店。
で、 『志な乃』 を出た後は、二条通を東へ進んで、京都会館や平安神宮のある岡崎近辺へ。
京都会館の辺は、普段の岡崎感から観光感を抜いて、DQN感とアホ学生感を足した感じの賑わい。
そのまま平安神宮へ寄ってみると、アホ学生が減って、DQN感がかなり増大。いよいよ、正月ですね。
参道の夜店群も、23時ながら活況を呈してます。が、本調子になるのは、やっぱりもう少し後かな。
その混雑をスルーして、何となく冷泉通へ上り東へ進み始めると、一気に人が減りました。
見かけるのは、家族連れや中年ばかり。ぶっ飛ばす車と珠に擦れ違いながら、闇の中を歩きます。
人恋しくなりラブホ林立ゾーンへ進むと、人の姿はもっと減少。ここ、何故ラブホが多いんでしょうね。
更に錦林市営住宅の辺へ進むと、永観堂はもうすぐ。鐘の音も、聞こえてきました。始まったかな。
坊さん撞きか一般撞きかは不明ですが、とにかく鐘が鳴ってる永観堂、23時半に到着です。
永観堂。改めまして、正式名称は 「秋はもみじの永観堂」 。ではなく、聖衆来迎山無量寿院禅林寺。
本尊・阿弥陀如来像を、 「永観遅し」 と見返らせた僧・永観に因んで、 「永観堂」 と呼ばれています。
門前まで来くと、流石に人の姿が増えました。写経だけしに来た人がいるかどうかは、知りません。
あ、永観堂、永観が創建したのではありません。永観は、ここを念仏寺にした中興の祖です。
真紹僧都が、隠遁貴族・藤原関雄の山荘を寺化&創建しました。ので、境内の景観は今も、優美。
そんな優美な景観の深夜の姿、年越しでは堪能できるかと少し期待してたんですが、境内は、暗し。
紅葉期には人とバスが入り乱れる御覧の参道の辺も、漆黒。肉眼だと、ほとんど何も見えません。
境内奥の御影堂では、何かを執行中。流石は、浄土宗西山禅林寺派の総本山であります。
御影堂が祀るのは、無論、浄土宗祖・法然。ただ法然って、永観の百年後に生まれてるんですよね。
法然の百年前より永観は、簡単な 「南無阿弥陀仏」 の実践を推して、衆に寄り添う寺を目指しました。
正に、 「聖衆来迎」 です。 「並ぶのダルい鐘どうでもいい」 という輩も、優しく迎えてくれる筈です。
衆に寄り添う寺ゆえ、無料の鐘にはしっかりと行列あり。丁度、御影堂の辺まで伸びてます。
しかし、今夜の私は鐘に用がありません。行うべきは、写経。そして、新たな年越しスタイルの提案。
なので、行列の整理などをやってる坊さんに写経の手順を訊ねたら、真直ぐ阿弥陀堂へ行ってくれと。
で、行列の脇を軽やかに抜けて、真直ぐ阿弥陀堂へ。そう、やりたかったのは、この抜け駆けです。
抜け駆けを決め、坊さん達が甘酒の奉仕をやってる横も通り抜けて、到着した、阿弥陀堂。
大阪・四天王寺の曼荼羅堂を移築し、本尊 「みかえり阿弥陀」 も安置されているお堂でございます。
真横には、鐘楼あり。鐘撞きを待つ行列は、阿弥陀堂の手前で折れ曲がって鐘楼へ向かうわけです。
で、鐘を打ち終わった内の物好きが、写経にも来るという流れ。私は無論、真直ぐ中へ入りますよ。
堂内では、本尊前に座卓が10脚ほど並び、写経席になってました。先客で、席はほぼ満員。
堂の隅にいた係の人に手順を訊くと、適当な席に座って適当に書いてくれと言うので、適当に着席。
さて、書くか。いくら浄土宗の念仏寺でも、写経まで 「南無阿弥陀仏」 オンリーってことはない筈です。
そんなに簡単だと、ネタになりませんしね。今回の年越しの最大イベント、頑張って一杯書きますよ。
と、ゲスな思惑一杯な心で写経用紙に挑んだら、写経、本当に 「南無阿弥陀仏」 だけでした。
正確には、 「南無阿弥陀仏」 を大きく、祈願すること・所属する寺名・名前・住所を小さく、書くだけ。
「南無阿弥陀仏」 、数秒で書けました。今回の年越し、数秒で終わりました。ありがとうございました。
名前などは冗談を書こうかと思いましたが、自重。背後に待ち客が沢山いる為、見えると、恥です。
で、書いたら、先刻の係の人に用紙を提出し、終了。混んでるので、阿弥陀堂もすぐ出ました。
年越し、完了です。新たなスタイルの年越し、完了です。最高に、楽に済みました。が、あっけない。
闇の中を農道歩いたり、撞き過ぎで鐘自体に飽きたりせずに済んだのは、最高です。が、あっけない。
「にらみ鐘」 の決意が、揺らぎます。凄く、物足りない。数秒の写経が記事になるのかも、不安です。
と、揺らぎながら堂外へ出て、目にしたのは、消化されないまま続く200人くらいの鐘行列。
見た瞬間、 「にらみ鐘」 の決意を、新たにしました。新たなスタイル提案の決意を、新たにしました。
私は、決意を守る男です。信念を通す男です。一度決めたことは、最後まで徹底してやり抜く男です。
いや、行列の消化スピードは案外早いんですけどね。ただ、常に後から補充され、全然減りません。
で、退寺。混雑にかまけて 「みかえり阿弥陀」 を拝み忘れてましたが、足が見返らず、退寺。
永観堂の除夜の鐘、客の多くは地元系ですが、移住系も多し。年齢は、20代~30代がメインでした。
中年夫婦が多く、観光ハイは希薄で、ネイティブ感も薄め。単独は、物好き系女が若干いた程度です。
あ、門前の哲学そばは、開いてませんでした。 『志な乃』 での蕎麦、正解だったかも知れません。
永観堂を退寺して時計を見ると、0時を回ってました。新年、あけましておめでとうございます。
というわけで、ネタ補充でなく真剣な発詣の為、哲学の道入口にある永観堂の鎮守・若王子神社へ。
神使としてヤタガラスを崇める、熊野若王子神社。鳥年である2017年の初詣には、丁度いいでしょう。
同じことを考える輩が多いかと思ったら、人の姿はなし。というか、そもそも神社、開いてるのかな。
不安に思いながら坂を上り、若王子神社へ着いたら、開いてるどころか初詣の幟まであり。
熊野若王子神社。熊野フリークの後白河法皇が勧請した 「京都三熊野」 のひとつとされる社です。
「禅林寺新熊野社」 とも呼ばれたほど永観堂に近く、ありがたい年越しソリューションかも知れません。
もっとも、明治以前は神仏習合全開だったそうで、ここだけで年越しが済んでたかも知れませんが。
境内は、お守りなどの授与を行うテントが東側を占める形で出てて、中央には焚き火もあり。
暗闇の中でのひとり参拝を想定し、ヤタガラスの写真をどう撮るか思案してたので、正直意外です。
かつては聖護院門跡院家でもあったという、若王子神社。ある意味、当然の賑わいかも知れません。
客は、地元&渋好み系がいるくらいで、少なめ。単に、ほぼ0時ジャストだからかも知れませんが。
中世には武家の信仰を集め、足利家より荘園の寄進&安堵もされたという、若王子神社。
江戸期には、熊野詣の出発点ゆえ具足商人からの崇敬も集めるようになったという、若王子神社。
近世には皇子の盛育が祈願され、境内の滝水が孝明天皇の産湯にも使われたという、若王子神社。
偉大な社であります。私も、鶏を沢山食えることや、熊に食われないことなどを、祈願しときました。
ヤタガラスの写真を撮らせてもらうのは、某ショッカーみたいな八咫烏文様ではなく、御神籤。
カラスの形をした可愛いらしい御神籤、300円也。御神籤の紙は、当然、カラス内に内蔵されてます。
袋の 「京洛東那智」 という文言も、いいですね。 「京都三熊野」 は、全部が洛東にある気もするけど。
焚き火前の休憩所で出目を見ようとしましたが、指先が凍えて動かず。帰って見ることにしました。
で、退社後は、地下鉄代をケチるべく、三条駅へ向かって永観堂の元寺領を再び歩きます。
というか、本当は平安神宮で混雑ネタを仕込もうと思ったんですが、大した人出でないので、スルー。
あと、錦林と頂妙寺の辺で鐘の音を聞きましたが、今年は撞かないと決めてるので、こちらもスルー。
で、三条駅へ到着。元日の終夜運転、こんな早い時間に乗るのは、初めてです。本数、割と、多い。
本数が割と多い京阪に乗って八幡まで帰り、帰ったら早速見てみた、カラス御神籤の中身。
カラス下部から出てる紐を引き、硬く丸められてる紙を引っ張り出すと、一文字の縦書きで 「吉中」 。
目の大きいカラス君と一緒に、出目文を読むこと、しばし。今年もまあ 「中」 な感じでやっていきます。
というわけで、 「にらみ鐘」 以外は単に普通に楽しただけの新たなスタイルの年越し、これで終了。
各スポットの客層については、それぞれの箇所で記した通り。
全体的に見れば、まあまあより少し良い、くらいの感じでしょうか。中の上、とでも言うか。
永観堂でしっかり鐘の行列に並んでると、印象がかなり変わったかも知れませんが。
平安神宮周辺を迂回して徘徊すると、かなり渋めの年越しを楽しめるのかも知れません。
なので、ひとりに向いてる度については★★★くらいという感じではないでしょうか。
あ、柳湯& 『志な乃』 だけなら、★★★★★か★★★★★★ですけどね。
そんな永観堂での、年越し。
好きな人と越せば、よりゆく年くる年なんでしょう。
でも、ひとりで越しても、ゆく年くる年です。
2016年への年越しを、京都帝釈天で迎えました。もちろん、ひとりで。
2015年への年越しを、八幡で迎えました。もちろん、ひとりで。
2014年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。
2013年への年越しを、嵯峨嵐山で迎えました。もちろん、ひとりで。 【前篇】
2013年への年越しを、嵯峨嵐山で迎えました。もちろん、ひとりで。 【後篇】
2012年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。 【1】
2012年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。 【2】
2011年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。 【1】
2011年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。 【2】
2011年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。 【3】
永観堂(禅林寺) 京都市左京区永観堂町48 京都市バス 南禅寺永観堂道下車 徒歩約3分 永観堂 – 公式 熊野若王子神社 京都市バス 熊野若王子神社 – 京都風光 |
柳湯 京都市左京区菊鉾町332 開いてれば開いてる 京阪電車 三条駅下車 徒歩約6分 柳湯 – 関西の激渋銭湯 さいろ社 志な乃 京阪電車 神宮丸太町駅下車 徒歩約10分 志な乃 – 食べログ |