ゲストハウスイン清水三年坂で聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【後篇】

2018年12月24日(月)


ゲストハウスイン清水三年坂で過ごす聖夜、前篇に続き後篇です。

「坂」 が、ある種の 「境界」 的な性質を孕む領域であることは、広く知られています。
物理的に外界との 「堺」 を築く山、そこへと向かう 「坂」 。自ずと、 「境界」 的になるわけですね。
山に囲まれた街・京都では、この傾向がより顕著です。清水・産寧坂も無論、例外ではありません。
そもそも産寧坂の別称・三年坂は、 「転ぶと三年以内に死ぬ」 という伝説から付いたとされるもの。
また、大日堂などの清水寺・境外塔頭は、かつてこの辺まで広がってた葬地・鳥辺野の名残とか。
「死」 が周囲に転がる、彼岸ゲートたる 「境界」 。その 「境界」 が引き寄せる、ある種のアジール性。
そんな産寧坂の 「境界」 性、水上勉に拠ると、昭和初期の頃までは残ってたようです。

産寧坂は、どうして、あんなに急で、人通りもまばらだったのだろう。両側は二階建てのしもた屋がな
らんでいた。急石段をのぼりながら、家々の戸口を見ると、どこも格子戸を固くしめて、提灯をつるして
いるのだった。いまは、この右側は、竹細工屋、餅屋、喫茶店など、とびとびにあって、観光客の男女
も、手をつないで出入りし、坂を登ってゆくが、昔は、ここの石段にへたりこんで、頭をさげては布施を
乞う乞食が大ぜいいた。
(水上勉 『私版京都図絵』 「東山二条 産寧坂」 )

では現在、この坂の 「境界」 性が全て脱臭されたのかといえば、そうでもありません。
国籍人種問わずベタな観光客が集う現在の産寧坂の様は、正にアジール or 魔界そのものでしょう。
それにそもそも 「産」 もまた、ある種の 「境界」 。無から有へと転じる、紛れもない 「境界」 です。
「死」 と 「生」 の 「境界」 としての、清水。生命がスクラップ・アンド・ビルドされる場としての、清水。
ベタに塗れるほど聖性を増す清水のタフな魅力の根源は、案外そんな所にあるのかも知れません。
というわけで、そんな清水に建つ 「境界」 宿・ゲストハウスイン清水三年坂での聖夜、後篇です。
後篇は、嘘と本当、現実と妄想、そして夜と朝の 「境界」 などを、見つめていきます。


「境界」 を非日常・非現実へ寄せる決意をしながら、でも極めて日常的に茶を飲むこと、しばし。
それにしても、しみじみ普通にマンションです。その分、設備も普通に便利で過ごしやすいですけど。
空調も、普通に万全。暑がりの私は、21時過ぎ頃まではそもそも、エアコンさえ入れてませんでした。
風呂もまた、普通。で、その普通な風呂に普通に入った後は、また年越し記事の作業に励みます。


本体性能はまあまあだけどモニタが駄目なPCを駆使し、記事を練り上げること、しばし。
写真の選択&組み合わせを何度も再考し、修正する。テンキーを叩き続け、構図も厳密に計算する。
文章も、面白くて深いものに鍛える。難解さを恐れず、でも把握は容易にすべく、言葉をデザインする。
この作業こそ、 『ひとりでうろつく京都』 の神髄です。某恒点観測員の感動の最終回も、神髄です。


とかやってると、時間は0時。ケーキを買い忘れてたので、また買いに行きます。物凄く、面倒。
この面倒さこそ、この宿が安い理由かも。とか思いながらマンションを出て、轟小路から産寧坂前へ。
そういえば、轟小路と参道が交わる此辺、清水寺の参拝者が身を清めた轟川の場所なんでしょうか。
暇な夢想をしながら歩く深夜の清水は、ライトアップはなくとも街灯が白熱球色で、雰囲気あり過ぎ。


昼間や花灯路の時は、その雰囲気がでっち上げられた和風テーマパーク風に見える、此辺。
でも深夜だと、二年坂も本当に伝統がある地区に見えるから、不思議です。いや、本当なんですが。
それが感じ良いので、少し夜散歩。で、そのまま高台寺まで歩き、公園から石堀小路や夜景を望む。
こうして見ると、此処もアジール感を感じます。というか、実際に此辺は昔、遊女茶屋が並んでたし。


高台寺の巨大駐車場に霊山観音霊山歴史館などなど、近代以降のブツが多く並ぶ、此辺。
そして無論、高台寺本体&ねねの道は本当に和風テーマパークとして、90年代に再開発されました。
が、此処は元々、花街・下河原『京内まいり』 には、 「高台寺前とて遊女茶屋也」 と書かれてます。
北政所 aka 高台院 aka ねねさんを慰撫すべく、舞芸に秀でる女を集めて出来た花街だそうですよ。


ということは、ねねさん、そっちか。と勘繰りそうですが、芸事が好きだったそうですよ、ねねさん。
つまり、再開発される前から此処は 「ねねの道」 だった、という感じでしょうか。新しいようで古い、と。
そんなねねの道の北端、祇園閣の前には、円山地蔵尊あり。エロス溢れる所にはタナトスあり、です。
花街が死滅する様も、その眼で見届けたんでしょう。と言いたいですが、この地蔵、実は1990年製。


古いようで新しい地蔵に拍子抜けしたら、がっつり古い大谷祖廟参道に挨拶するしかありません。
花街の傍に拡がる、漆黒の墓道。生と死 or 聖と性は常に表裏一体なことを、再認識させられます。
そういえば石堀小路は妾宅も多かったそうですが、そのルーツかも知れない祇園女御堂が傍にあり。
タナトス溢れる所にはエロスあり、です。建物、新しいようで古いと楽しいんですが、実は1994年製


円山にて聖と俗の一体化を盛大に実践してた祇園感神院 aka 八坂神社も、もちろん夜参り。
参った後は、引き返して下河原通へ。先刻の高台寺門前と石堀小路で繋がる元花街を、南下します。
舞芸に強い下河原の妓は、 「山猫」 として円山でも人気。僧にも人気で、ゆえに見識も高かったとか。
廓の格が違ったと、田中緑紅は書いてます。井上流も、下河原から祇園甲部へと入ったそうですよ。


下河原が舞芸で名を轟かせる一方、近くの八坂の塔周辺にはよりハードな廓・辰巳新地あり。
現在はすっかり伝統的景観地区ですが、深夜に見ると此処もまた、残り香が感じられる気がします。
というか、寧ろそんな残り香こそが、伝統的景観を現代のアジールにさせてるのかも知れませんしね。
で、そんなアジールの客を誘う幟が眩しい超级市场・振醜に、再び入店。しかし、安いケーキはなし。


で、 「MONEY EXCHANGE」 する人達が目当てっぽい再開発を横目に、松原通を登坂し、帰宿。
そういえば此辺もかつては、阿古屋新地。スクラップ・アンド・ビルドであります。死と再生であります。
魑魅魍魎な上物が代謝し続ける、清水の地。あるいはこの代謝こそが、清水の魔力の本質なのかも。
とか思いながら、産寧坂前へ帰前。改めて、実に伝統的景観です。そしてやはり、雰囲気あり過ぎ。


と、人が全然いないので機嫌良く妄想散歩を満喫出来た後は、お楽しみのスイーツタイム。
ケーキの代わりに、プリン、買いました。あと、100円のホワイトソーダを 『明石家サンタ』 と共に。


買ったプリンは、オハヨー焼きプリン。聖夜の 「境界」 で食うその味は、焼いたプリンの味。
クリスマスに、白い生クリーム食うなんて、古いですよ。陳腐ですよ。これからは、薄黄色ですよ。


で、食った後はまたもやサンタ服に着替えてPCに向かい、記事を練り上げること、しばし。
写真の選択&組み合わせを何度も再考し、修正する。テンキーを叩き続け、構図も厳密に計算する。
文章も、面白くて深いものに鍛える。難解さを恐れず、でも把握は容易にすべく、言葉をデザインする。
この作業こそ、 『ひとりでうろつく京都』 の神髄です。間抜けさと哀しさが溢れる背&腰も、神髄です。


と、背&腰を痛めて記事を作ってると、3時過ぎになりました。どうにも眠くなったので、寝ます。
清水寺が開門する6時まで徹夜しようかとも思ってたんですが、無理。2時間ちょっとですが、寝ます。
2010年以来の朝一番メリクリ参拝を必ず行うと心に誓い、5時半にアラームをセットして、消灯&就寝。
深夜も、部屋は暖かです。おやすみなさい。そして、全ての孤独な聖戦士達に、メリー・クリスマス。


で、朝、アラームでなく自然に起きました。ねぼ~~~~~~~~~~~~~~~~~。


時間を確認すると、9時を過ぎてました。ねぼ~~~~~~~~~~~~~~~~~~。


なので、早朝参拝の失敗を悔いる暇もなく、慌てて退出準備。ねぼ~~~~~~~~~。


と、半分以上寝たままの頭で支度して、部屋を出てフロントで鍵を返したら、チェックアウト。
あ、ゲストハウスイン清水三年坂、アウト時限は11時。ですが、こっちは時間がないので、帰ります。
それにしても、あまりに、マンションでした。マンションにないものをプラスしたような、マンションでした。
こうやって退出しても、寧ろ 「これから出かける」 という気しか起こらないくらいに、マンションでした。


いや、 「これから出かける」 という気になった以上、これから出かけねばなりません。参拝です。
朝一番は失敗しても、産寧坂の傍に泊まった以上、本丸たる清水寺には顔を出しておくべきでしょう。
と考えて産寧坂前まで行くと、観光客は既に、微妙に多し。この微妙さが何か、異常に心を砕きます。
半端に人が多い時へ行って、何になる。面倒臭い。石段を登る気、欠片も起きない。ので、下界へ。


下りに徹して歩く朝の清水は、開いてる店がまだ少なめ。大半は開店準備中で、水撒いてたり。
客も、少なめ。狭い産寧坂は混んでましたが、他の所は概ね昼間の1~2割ほど。のんびり歩けます。
ので、眼前に広がる空を見ながら、機嫌良く下坂。すると、何か晴れ晴れとした気分になってきました。
そして、来た時には景観の虐殺機関に見えたクレーンが、少しだけ再生の象徴のように見えました。

ゲストハウスイン清水三年坂、他の客とは結局鉢合わせしなかったので、素性不明。
通路を歩く音しか聞こえないので、混み加減も不明。逆に言えば、他の客が気にならない作りです。
その割に、外の音は妙に聞こえるんですが。でも、夜は概ね静かなので、問題はないかなと。
CPについては、普請の安さがあまり気にならない人には、充分に破格の宿だと感じられるでしょう。
ただ気になる人は、目先の利便性の良さ以上に、あれこれと気になるかも知れません。
あと本文中でも散々書いてますが、清水寺には近いけど、コンビニや安い飲食店はかなり遠い。
特に、買い物して帰る時に感じる疲労感は、濃厚です。単に上り坂、ということもありますし。
安い宿に泊まりたくて、そして食事も安く済ませたい場合は、考える余地があるかも知れません。
ただ、清水のオーラがダイレクトに感じられるという意味では、良い宿ではないでしょうか。

そんなゲストハウスイン清水三年坂での、聖夜。
好きな人と泊まれば、よりゲストハウスなんでしょう。
でも、ひとりで泊まっても、ゲストハウスです。

ゲストハウスイン清水三年坂で聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【前篇】


 
 
【ひとりに向いてる度】
★★★
安価で便利だが、普請は値段相応。
本気でまともな宿を期待すると、しんどいかも。
ただ、広いベッド+布団で寝れるネットカフェで、
しかも清水寺徒歩3分と思えば、CPは異常域。
 

ゲストハウスイン清水三年坂
京都市東山区清水2-257-4

京都市バス 清水坂下車 徒歩約10分
京阪電車 清水五条下車 徒歩約20分
 

清水三年坂 Guesthouse in Japan – 公式

清水三年坂 ゲストハウスイン京都 – agoda