2020年1月1日(水)
2020年への年越しを、寺町通で除夜の鐘を聴くだけで迎えました。もちろん、ひとりで。
年越しは、ある意味、 「境界」 と言い得ます。というか、 「境界」 以外の何物でもありません。
古き年の死と、新しき年の再生。何なら、 「境界」 の魔力が最高潮となる瞬間とも言えるでしょう。
自虐という表皮の下で、 「境界」 との対峙なるテーマをアカデミックに追求してきた当サイトとしては、
この 「境界」 もまた探求の必要ありと考え、2018年には大霊苑・東山浄苑での年越しを決行しました。
生と死の 「境界」 の極致たる霊苑への訪問。そしてその訪問を、敢えて昼間に済ますという、洒脱。
「真冬の夜に出かけるの、いい加減キツい。なので、昼に済ませた」 わけでは全くないこの荒行で、
当サイトは、道化の皮を被った当サイトらしいやり方で 「境界」 の探求を深めることが出来たのです。
この訪問に続く形で 「境界」 としての年越しを探求するにあたり、私は寺町通に目を付けました。
寺町通。言うまでもなく、長いアーケードが築かれた、京都で最も有名な繁華街のひとつであります。
が、秀吉による寺院集積が名の由来たる通でもあり、そもそも平安京の東端であった通でもあります。
洛中と洛外を隔てる 「境界」 の鴨川に沿い、あらゆる意味でその影響を受けてきた、寺町通。
近世に入り、鴨川の東側が発展した後も、寺の集積によって死と生の 「境界」 たり得てきた、寺町通。
その 「境界」 性に導かれて遊興・芸能が集まるようになり、現代にまで続く遊興地となった、寺町通。
年越しという巨大な 「境界」 と向き合うに際し、ある意味、これほど相応しい場所はないでしょう。
そう考えた私は今回、寺町通に響く除夜の鐘を聴きながら、2020年の年越しを過ごすことにしました。
綺羅星の如く並ぶ寺々から響く鐘の音。その音へ耳を澄まし、 「境界」 と向き合おうとしたのです。
無論、自分で鐘を衝いたりはしません。2019年と同様、偽りの主体性へ乗りかかる暇はありません。
聴覚を通じて精神を研ぎ澄ませ、音像の彼方に顕れる英知と悟りを、魂の眼で見届けてきたのでした。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。当サイトが当サイトであるために必要な挑戦なのです。
決して、大晦日が悪天だったので、アーケードのある道を特攻先に選んだわけでは、ありません。
断じて、立ち止まって音を聴くのさえダルいので、歩くだけで済ませたわけでも、ありません。
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2019年1月1日(火)
2019年への年越しを、妙心寺で除夜の鐘を聴くだけで迎えました。もちろん、ひとりで。
聴くということ。耳を澄ませること、と言い換えても構いません。とにかく、聴くということ。
難しいことです。ネットの普及以降、視覚ばかり偏重される昨今では、なかなか難しいことです。
「見る暴力」 を行使する自由&権利が、ゼロ年代をまんま引き摺るような形で延々とデフレを続け、
愚鈍な視線が溢れ返ると共に、内省能力を喪失したイワシの如き民を大量発生させた、10年代。
イワシを見て 「やっとネットが漁場化した」 と考えた代理店は、社員を殺しながら民の家畜化を進め、
民は民で小さな画面の中へ認識を収束し、外部を負の感情の便所と見做すようになった、10年代。
見るということは、果てしなく安くなりました。大きな代償を支払うことで、果てしなく安くなりました。
この腐ったディケイドの最終年を迎えるに際し、私は、視覚偏重の風潮に異を唱えたくなったのです。
野蛮に見つめるのではなく、黙って聴くということ。むしろ、音 or 静寂から見つめ返されるということ。
聴覚の復権です。それはつまり、内省の復権です。この復権が今、必要であると思えるのです。
そう考えた私は、2019年の年越しを、妙心寺にて除夜の鐘を聴いて迎えることにしました。
妙心寺。言うまでもなく、臨済宗妙心寺派の大本山であり、禅寺の中の禅寺と言える大寺です。
京都・花園の巨大な境内は全域が禅テイストでまとめられ、質実&ストイックな精神世界を具現化。
また、国宝の梵鐘も持ち、そのレプリカで除夜の鐘も実施。で、この鐘が、参拝者は撞けないのです。
見るだけの無力さを痛感する前に偽りの主体性を得んと、鐘撞き体験へ走るイワシの愚さを排し、
耳を澄ませることで真の内省を促し、真のイニシエーションとしての年越しも成立させる、この姿勢。
正に、禅です。正に、己の内面と向き合う、禅ならではのスタンスです。正に、禅寺の中の禅寺です。
なので私も、真夜中の妙心寺で鐘の音に耳を澄ませ、聴くということに向き合ってみたのでした。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。当サイトが当サイトである為に必要な挑戦なのです。
決して、並んだりせずに簡単に年越しネタを成立させたい一心で出かけたのでは、ありません。
断じて、単に写真が殆ど真暗になったから聴覚がどうとかゴネてるのでも、ありません。
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2018年1月15日(月)
清水順正おかべ家へ豆乳おぼろ小豆粥を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。
粥というものは、いわゆる 「本気」 で作ろうとしてみると、案外と調理が難しいものです。
「美味く作る」 という以前に、そもそも粥として成立させられるかどうかさえ、怪しかったりします。
柔らかく煮過ぎたら、単なる糊汁になってしまう。固めに仕上げたら、単なる湯漬けになってしまう。
程良い程度に煮込んでから、 「これぞ粥」 と誰もが思うポイントで火を止める。これが結構、難しい。
実際、私は粥を上手に作れた試しがありません。大抵の場合、湯漬けか糊汁が出来るだけです。
適当料理の極致のように見えながら粥は、実は高度なテクニックを要する料理なのかも知れません。
となれば、粥を食す機会が何かと多い1月に、いわゆる店舗にて粥を食すのも、一興ではないか。
「神社などを回って、接待の粥を寸評する」 などという下品+無礼+無粋な行為におよぶのではなく、
京都の和食のプロフェッショナルがその技により作った粥を、しかるべき対価を払う形で、食す。
こうして 「本当の粥」 を堪能すれば、この時期に粥を食う本義もまた、体で会得出来るに違いない。
そう考えた私は、今回、1月15日の行事食・小豆粥を、店舗にて食べてみることにしました。
出向いた店は、清水順正おかべ家です。言うまでなく、清水坂にあって、湯豆腐で知られる店です。
臨済宗南禅寺派の大本山にして五山の上に屹立する日本最高峰の禅寺・南禅寺の門前にて、
禅の思想を食で具現化した精進料理のひとつ・豆腐を、湯豆腐という形で古えより供してきた、順正。
その順正が、清水寺参道たる清水坂、それも産寧坂の前に出してる支店が、清水順正おかべ家。
なので、湯豆腐が当然売りなんですが、季節メニューもやってて、1月15日には限定で小豆粥を提供。
それも、自前の豆腐製造所まで持つおかべ家ならではの、豆乳おぼろ小豆粥として出してます。
ので今回それを食べに行き、 「本当の粥」 を堪能することで、行事食の重みを感じてみたのでした。
そう、これは新たな挑戦なのです。行事食の未来・可能性を見据える為に必要な、挑戦なのです。
決して、またも冬の食い物記事を増やして、アクセス数の底上げを狙ってるのでは、ありません。
断じて、先週の七草粥と同じ作りで、安易に記事を増やそうとしてるのでも、ありません。
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2018年1月7日(日)
清水順正おかべ家へ豆乳おぼろ七草粥を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。
粥というものは、いわゆる 「本気」 で作ろうとしてみると、案外と調理が難しいものです。
「美味く作る」 という以前に、そもそも粥として成立させられるかどうかさえ、怪しかったりします。
柔らかく煮過ぎたら、単なる糊汁になってしまう。固めに仕上げたら、単なる湯漬けになってしまう。
程良い程度に煮込んでから、 「これぞ粥」 と誰もが思うポイントで火を止める。これが結構、難しい。
実際、私は粥を上手に作れた試しがありません。大抵の場合、湯漬けか糊汁が出来るだけです。
適当料理の極致のように見えながら粥は、実は高度なテクニックを要する料理なのかも知れません。
となれば、粥を食す機会が何かと多い1月に、いわゆる店舗にて粥を食すのも、一興ではないか。
「神社などを回って、接待の粥を寸評する」 などという下品+無礼+無粋な行為におよぶのではなく、
京都の和食のプロフェッショナルがその技により作った粥を、しかるべき対価を払う形で、食す。
こうして 「本当の粥」 を堪能すれば、この時期に粥を食う本義もまた、体で会得出来るに違いない。
そう考えた私は、今回、1月7日の行事食・七草粥を、店舗にて食べてみることにしました。
出向いた店は、清水順正おかべ家です。言うまでなく、清水坂にあって、湯豆腐で知られる店です。
臨済宗南禅寺派の大本山にして五山の上に屹立する日本最高峰の禅寺・南禅寺の門前にて、
禅の思想を食で具現化した精進料理のひとつ・豆腐を、湯豆腐という形で古えより供してきた、順正。
その順正が、清水寺参道たる清水坂、それも産寧坂の前に出してる支店が、清水順正おかべ家。
なので、湯豆腐が当然売りなんですが、季節メニューもやってて、1月7日には限定で七草粥を提供。
それも、自前の豆腐製造所まで持つおかべ家ならではの、豆乳おぼろ七草粥として出してます。
ので今回それを食べに行き、 「本当の粥」 を堪能することで、行事食の重みを感じてみたのでした。
そう、これは新たな挑戦なのです。行事食の未来・可能性を見据える為に必要な、挑戦なのです。
決して、粥ネタやるにしても多少は美味いもん食いたい、と思って出かけたのでは、ありません。
断じて、冬の食い物ネタを増やし、アクセス数の底上げを狙ってるのでも、ありません。
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2018年1月1日(月)
2018年への年越しを、東山浄苑にて昼間に済ませました。もちろん、ひとりで。
年越しとはある意味、一年の内で最も巨大な 「境界」 の時期、と言えるでしょう。
いや、 「越し」 の語が明確に示す通りに、 「ある意味」 もひったくれもなく丸出しとさえ言えます。
古き年の死と、新しき年の再生。正に、 「境界」 の魔力が最高潮に達するであろう瞬間なわけです。
「境界」 を裏テーマに据える当サイトとしては、この巨大な 「境界」 、見逃すわけにはいきません。
が、これまで延々展開してきた年越し企画では、年越しの 「境界」 性、迫ることは出来ませんでした。
理由は、余りにも巨大だから。年越しはいわば、都市 or 国 or 世界の全てが動く 「境界」 だから。
クリスマスなどとは、わけが違います。社会のあらゆるエレメントが影響を受けるイベントなわけです。
とはいえ、退却戦ばかりやってるわけにもいきません。正面からの特攻こそ、当サイトの流儀。
死と再生へ正面からシビアに対峙する形の年越し、というのも、やはり一度はやっておくべきでしょう。
というわけで2018年への年越しは、京都に於ける死と再生の極点たる 「境界」 にて敢行しました。
出向いたのは、東山浄苑。霊苑です。巨大な建物に永代納骨御仏壇が大量に安置された霊苑です。
古墳や御陵があり、今も京都市中央斎場&京都中央安置センターが絶賛稼働中の六条山にて、
ほにゃらふにゃらな事情により、あの東本願寺とは違う東本願寺が運営してる、超弩級の霊苑です。
ゆえに、身内が入ってない者には無縁なんですが、2017年大晦日は昼に除夜の鐘を一般実施。
これぞ親鸞聖人&蓮如上人によって導かれた仏縁と会得し、出かけたのでした。
そう、これは新たな挑戦なのです。ほにゃらをふにゃらするのに必要な、挑戦なのです。
ほにゃほにゃふにゃほにゃをふにゃほにゃほにゃふにゃらするのに必要な、挑戦なのです。
ふにゃふにゃほにゃふにゃらをほにゃらほにゃふにゃほにゃらするのに必要な、挑戦なのです。
ほにゃらふにゃほにゃほにゃらをほにゃほにゃふにゃふにゃするのに必要な、挑戦なのです。
ほにゃほにゃふにゃほにゃらをふにゃふにゃほにゃらふにゃらするのに必要な、挑戦なのです。
ふにゃらふにゃほにゃほにゃをほにゃほにゃほにゃふにゃするのに必要な、挑戦なのです。
断じて、当日になって夜に雨が降りそうとわかり、昼に済ませたわけでは、ありません。
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2017年1月1日(日)
2017年への年越しを、永観堂で写経だけをして迎えました。もちろん、ひとりで。
当サイトではこれまで毎年の年越しに際し、様々な寺で除夜の鐘を撞いてきました。
徘徊の挙句に撞けなかった年もありますが、とにかく他所者としてネイティブな場へ紛れ込み、
本来は近所の人が顔を合わせて撞く鐘を、気後れと気まずさを感じながら、撞いてきたわけです。
この気後れと気まずさ、地元・八幡でさえ 「移民の子」 という自覚ゆえ逃れられなかった私は、
やがて払拭を求めるようになり、2016年には本籍地の隣・南丹市船枝に立つ京都帝釈天へ遠征。
ルーツとも言える地にて、参道に並ぶ108個の鐘を遠慮なく&思う存分撞きまくったんですが、
この撞きまくりにより、私の中にあった鐘への欲求は何か、昇華されてしまいました。
鐘は、もういい。撞く必要性を、感じない。そもそも、年越しだから鐘を撞くなんて、もう古いですよ。
むしろ、鐘に捉われないことにより、今まで見ることが出来なかった年越しの相貌を見てみたい。
欲求の昇華により、魂が次のステージに入ったのか、私はそう考えるようになったのでした。
とはいえ、単に除夜の鐘をやってない寺を訪れ、何らかの祈願をするだけでは、流石に味気ない。
鐘は撞かず、でも多少は年越し感のある行事をやってる寺へ、行きたい。でも、そんな寺、あるかな。
という疑問を速攻で抱きましたが、その答えはやはり速攻で見つかりました。永観堂です。
永観堂。正式名称 「秋はもみじの永観堂」 。というのはもちろん嘘で、聖衆来迎山無量寿院禅林寺。
浄土宗西山禅林寺派総本山なわけですが、一般的には無論、紅葉の名所として有名であります。
ゆえに、紅葉以外には幼稚園の園児募集ポスターぐらいしかイメージがない寺なんですが、
年越しでは 「聖衆来迎」 の名に相応しく、無量ならぬ無料で鐘楼を開放して、除夜の鐘を実施。
のみならず、名物 「みかえり阿弥陀」 を祀る阿弥陀堂では、写経も行われるのです。これですよ。
というわけで今回の年越しは、写経の為だけに、永観堂を訪寺。鐘は、撞きません。
「にらみ鯛」 ならぬ 「にらみ鐘」 とでも呼ぶべき新たな年越しスタイルを提案したいと思います。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。当サイトが当サイトである為に必要な挑戦なのです。
決して、鐘を待って並んだり突っ立ったりするのが、単純にしんどくなったのでは、ありません。
断じて、年越しネタ自体がいい加減ネタ切れ+飽きが来てるわけでも、ありません。
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2016年1月1日(金)
2016年への年越しを、京都帝釈天で迎えました。もちろん、ひとりで。
除夜の鐘を、108つ全部、撞きたい。そんな欲求に駆られるようになりました。
駆られるようになったのは、このサイトで阿呆な年越しネタをやらかすようになってからです。
あちこちの寺社へ忍び込み、鐘難民化したり撞けず終いに終わったりしてきた、当サイトの年越し。
そして、当然ながら地元の人に対して遠慮し、鐘の行列は最後の方へ並んできた、他所者の私。
毎年毎年、一歩も二歩も引いた状態で、こっそりと、ひっそりと、除夜の鐘を撞き続けてきたのでした。
2015年は遠慮不要であるはずの地元・八幡で年を越しましたが、しかし私はやはり、移民の子。
心の何処かで遠慮は、消えません。というか多分、行列がある限り遠慮する気持ちは、消えません。
こういう場に於いて独男というのは、本質的に気まずいものなのです。その気まずさは、忘れたくない。
しかし、それでも除夜の鐘は、撞きたい。いや、むしろ、何ならだからこそ、除夜の鐘は、撞きたい。
気兼ねなく鐘を撞いて、厄を祓いたい。108つの鐘を全て自分で撞いて、煩悩を全て吹き飛ばしたい。
阿呆な遠慮を延々と重ね続けた末に、私は、こんな阿呆な欲求に駆られるようになったのでした。
遠慮を大事にするあまりに正気を見失ったこの欲求、京都で実現する方法はいくつか考えられます。
ひとつは、寺の住職となり、鐘を独占すること。もうひとつは、自分の家に鐘を設置して、撞くこと。
そして、最も実現性が高くて尚且つ正気も保てる方法は、南丹市の京都帝釈天へ行くことです。
京都帝釈天。名が示す通り、京都の帝釈天でございます。立地的には 「府」 の帝釈天となりますが。
帝釈天というのは、言うまでもなく 「生まれも育ちも葛飾柴又」 というあれで有名な、あの帝釈天。
京都にもあるんですよ、帝釈天。もちろん、庚申信仰もあるんですよ。更には、猿崇拝もあるんですよ。
780年に和気清麻呂によって丹波・紫雲山の中腹へ創建され、天長年間には空海が伽藍を整備、
中世は神護寺末の小倉寺として存続、近世以降は庚申信仰で庶民から慕われてるお堂であります。
そんな京都帝釈天、90年代に入ると、700mの坂道参道へ108つのミニ鐘 「願いの鐘」 を設置。
で、年越しの際は、夜通しでオープン。鐘を撞きながら参道を進み、お参りすることが出来るのです。
そう、除夜の鐘を全部、撞くことが出来るのです。108つを全部、自分で撞くことが出来るのです。
おまけに、迎える2016年は、サル年。猿崇拝もある庚申スポットとしては、正に当たり年となります。
ついでに、このお堂がある南丹市船枝は、私の本籍地の隣。いわば、真の地元であります。
これはもう、遠慮なく鐘を撞きまくれる。そう思い、南丹市まで行ってきました。
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2015年1月1日(木)
2015年への年越しを、八幡で迎えました。もちろん、ひとりで。
年越し、当サイトでは年末年始もネタにすべく、何年にも渡り京都で続けてきました。
しかし、考えてみれば私の地元・八幡での年越しを、まだちゃんとした形で記事化してません。
もちろん初詣の名所・石清水八幡宮 = 「八幡さん」 には、何度となく年始にお参りしてはいますが、
大抵はネタ徘徊を重ねた末、あたかも飲みの〆のラーメンの如き姿勢で赴いていたのであり、
「八幡」 ということにこだわって、全てを 「八幡」 に絞り込む年越しというのは、やってませんでした。
これは、いかん。これではまるで、地元へ帰らず京都に来て年を越す観光客みたいではないか。
地元へ帰れば自身のつまらぬ生まれに嫌気が差すのか、親不孝&罰当たりにも帰省せず、
といって海外へ出かける金も無いので、安上がりに京都へ来て、他人の家の伝統行事へ割り込み、
それを以て 「オトナの年越し」 とさえ言い出しそうな阿呆の観光客と、丸っきり同じではないか。
これは、いかん。正気で考えると、 「いかん」 と考える方がいかん気もするけど、これは、いかん。
安易な情報主義、安易な体験主義、双方の悪所を集めた安易なコミュニケーション至上主義を廃し、
「夢の島」 の如きネット空間にて血の通った表現の獲得を目指すことこそ、当サイトの真なる目的。
八幡という辺境から京都を見ることで生じるバイアスや異常性を、敢えて前面へ押し出すことで、
所与の重力と向き合い、共に踊り、そのグルーヴを以て何かを語ることこそ、当サイトの真なる目的。
となれば、生臭いエゴを膨脹させる阿呆な年越しに、これ以上荷担するわけには行きません。
というわけで、2015年の年越しは八幡から一歩も出ず、除夜の鐘から初詣までをこなしてみました。
除夜の鐘は、江戸時代・寛永年間のタイムカプセルの如き伽藍を誇る寺である正法寺にて撞き、
初詣は言うまでも無く石清水八幡宮にて行うという、八幡年越し黄金コースを敢行することで、
改めてこのサイトのコンセプト、あるいはスピリットのようなものを、再確認してみたのであります。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。当サイトが当サイトである為に必要な、挑戦なのです。
決して、寒い最中にあちこちをウロウロするのが、いい加減しんどくなったのでは、ありません。
断じて、昼寝してたら寝過ごし、近所で済ませざるを得なくなったのでも、ありません。
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2014年1月16日(木)
東林院の 「小豆粥で初春を祝う会」 へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
「関西の薄味は、味が薄いのではなく、色が薄いだけ」 。
某夜更かし発のそんな理解が広まりつつある、昨今の関西薄味事情であります。
否定は、しません。薄口醤油の塩分濃度など持ち出されずとも、我々は濃い味が大好きです。
京都にも、濃厚嗜好は歴然と存在します。特にラーメン領域では、それが露骨に顕在化。
脂を大量に投入する背脂系、炒飯まで真っ黒な新福・第一旭系、スープに箸が立つ天一などなど。
いずれも、病的です。異常です。薄味和食への欲求不満で発狂したかの如く、変態です。
が、その薄味和食にしても、出汁レベルでは塩分以上に濃厚だったりするのであり、
「ダシは張り込め」 を合言葉に、一般家庭でも案外と旨味に金と手間がかけられてたりします。
我々は濃い味が大好きです。単に醤油を煮詰めたような味は、やはり病的に嫌いですが。
とはいえ、本当に薄味を極め、素材の力を極限まで引き出す料理もまた京都には存在するのであり、
その典型が、寺院、特に禅宗寺院で食される精進料理であることは、言うまでもありません。
道元禅師の教えに従って、禅の思想を食でも実現し、後には和食の原点にもなった、精進料理。
もちろん現在でも寺で食され、京都でもいくつかの禅院では一般人も食することができます。
「沙羅双樹の寺」 こと妙心寺塔頭・東林院も、そんな精進料理が食せる寺のひとつ。
食せるのみならず、料理教室や宿坊でも知られる東林院ですが、様々な催しも行っていて、
「沙羅の花を愛でる会」 、そして1月中旬から月末まで開かれる 「小豆粥で初春を祝う会」 は、有名。
特に 「小豆粥で~」 は、精進料理のひとつとして禅宗で大切に継承されてきたという小豆粥を、
小正月に合わせていただき一年中の邪気を祓うという、精進度が高い感じの催しです。
ちなみに会費も精進度が高く、3700円。370円ではありません。3700円。
「何だそれは」 と、額に興味はあったものの、額ゆえに行く気は起きなかったんですが、
今年は奮発して、高価い小豆粥で一発、精進してみることにしました。
割高な精進に励む様から精進落としまで、お楽しみください。
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2014年1月1日(水)
2014年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。
あなたは知ってるでしょうか。元旦の深夜は寒いということを。
元旦というのは、あの元旦のことです。1月1日とも呼ばれたりする、あの日のことです。
で、深夜というのは、遅い夜のことです。具体的には、22時から翌5時ぐらいの時間のことです。
元日のこの時間帯って、寒いんですよね。寒いって言葉では全然足りないくらい、寒いんですよね。
特に京都は、夏の頃は 「俺を殺す気か!!いやもういっそ殺せ!!」 って思うくらい暑いのに、
冬は死ぬほどというか、比喩ではなく明確かつ具体的に死の恐怖を感じるくらい、寒いんですよね。
あ、そんなことは知ってますか。百も承知ですか。それはまあ、そうですよね、安心しました。
じゃあ、いきなり本題に入りますが、京都で年越しなんてもう、やってられないんですよ。
2011年の時みたいに、時ならぬ大雪が降る大晦日の昼に円山公園&清水寺へ特攻かけたり、
高台寺行って除夜の鐘撞き損ねたりとか、翌日も寝ずにうろついたりとか、やってられないんですよ。
また2012年の時みたいに、年始早々伏見稲荷の山を巡ったりとか、やってられないんですよ。
さらには2013年の時みたいに、真っ暗な嵯峨野で除夜の鐘難民化とか、やってられないんですよ。
と、こうやって過去の年越しネタを並べると、明らかにうろつくボリュームが年々減ってますが、
それくらいこのネタ、帰ってしばらくは頭痛や脚痛で動けなくなるくらい、体がガタガタになるんですよ。
というわけで2014年度の年越しネタ、前後編に分けることなく、1本の手抜きな内容です。
いや、誰に頼まれてやってるわけでもないので、そもそも手抜きもひったくれもない話なんですが、
とにかく己の体をいたわるべく、ゆっくりと、そしてのんびりと、浅~く浅~く、うろつきました。
うろついたのは、岡崎→黒谷→蹴上といったエリア。この選択にも、特に大した理由はありません
単なる気まぐれ+私がおけいはんの民ゆえ、不調の際は電車ですぐ帰れるよう、日和っただけです。
ただ、徒歩圏を適当な彷徨う仕様である分、気まぐれにうろつく 「普通の年越し」 的内容に、
真人間も参考に出来る 「普通の年越し」 的内容に、あるいはなってると言えるかも知れません。
「なるわけがない」 とも思いますが、とにかく孤独な年越し、行ってみましょう。
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夜も、ひとり,
★★★,
冬も、ひとり,
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2013年1月15日(火)
下鴨神社の御粥祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
小豆には、魔力が秘められてるんだそうです。
といっても、昭和の相場師を狂わせた 「赤いダイヤ」 云々といった話ではありません。
また、夜の川で小豆を洗うという、何が恐いのかよくわからん妖怪・小豆洗いの話でもありません。
餡子にしたり赤飯炊いたりして食べる、いわゆる食物である、あの小豆の話であります。
小豆が持つ赤黒いビジュアルに、昔の人は何かしらスピリチュアルなパワーを感じてたようで、
年頭&夏越の祓には、その力で邪気を祓うべく、小豆を用いた食物を食す風習を生み出しました。
6月の夏越祓には、氷をイメージした外郎の如き生地に小豆をぶっこんだ、水無月を。
そして年頭に当たっては、白い粥の中で餅と共に小豆が点々と泳ぐ、小豆粥を。
特に小豆粥は、ものごとの変わり目に発生する境界領域に於いてパワーを発揮するとかで、
転居や葬式の際に食べる地方さえあるようですが、最もポピュラーなタイミングはやはり、小正月。
宮中では平安時代の頃から、正月最初の満月の日 = 小正月に小豆粥が食されてたそうで、
そのスピリチュアルな食風習は、現在に至るも様々な形で日本全国に残ってます。
京都でも 「1月15日 = 小豆粥」 という認識は家庭の献立カレンダーレベルで根付いてますが、
あちこちの神社もまた、宮中行事を神事化した形で小豆粥の奉納 or 接待を斎行。
中でも、宮中との結びつきが強い上賀茂&下鴨の両賀茂社では、御粥祭なるものが行われ、
下鴨の方は有料ながら小豆粥の接待もあるというので、私も出向いてみました。
相場師を狂わせ、謎の妖怪も生んだ、小豆。その魔力を食らう様、とくと御覧下さい。
当日は奇しくも初えと祭もやってたので、その様子も併せてどうぞ。
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2013年1月1日(火)
嵯峨嵐山で迎えた2013年の年越し、続きです。
夜、嵐電嵐山駅へ降り立つと、田舎の匂いを感じることがあります。
匂いといっても、田舎の雰囲気というような話ではありません。物理的な匂いの話です。
田舎の匂いというか、畑の匂いというか。とにかくそんな匂いを、濃厚に感じることがあります。
当然といえば、当然です。近くの嵯峨野には、農業をやってるところが多く存在するわけですから。
とはいえ、昼間の観光客だらけな嵐山では、まず嗅ぎ取ることが出来ない、そんな匂い。
でも、日が暮れて人がいなくなり、店も閉まって辺りが闇に包まれると、息を吹き返す、そんな匂い。
四季を通じて美しい自然に恵まれた嵐山ですが、それら 「観る自然」 とは一味違う、
よりネイティブな自然が息づく嵯峨嵐山の顔を、そんな匂いに見出したりすることがあります。
2013年の年越しで訪れた、大晦日深夜の嵯峨嵐山も、正にそんな 「夜の嵐山」 でした。
「除夜の鐘&初詣巡りの客を乗せた人力車やタクシーが、正月料金で発狂したように荒稼ぎ」 とか、
「花灯路に群がるような阿呆の若者が、路上で酒盛り&除夜の鐘乱打&絶叫カウントダウン」 とか、
赴く前は色々勝手な妄想をしてたんですが、現場にはそんな外道な輩の姿、一切なし。
ごく普通に地元の人たちが、昼間の顔とは全く違う観光街を歩いて近所の寺や神社へ出かけ、
ごく普通に除夜の鐘を撞き、ごく普通に初詣を行う姿が、そこにはありました。
あまりにもごく普通にネイティブ過ぎて、メシ食うところを見つけるのにも難儀しましたが、
しかしそのネイティブな姿は、阿呆の若者+阿呆の観光客が多い東山エリアの年越しよりも、
はるかに魅力的で、かつはるかに本来的なものに見えたのでした。
そんな嵐山での年越し、後篇です。前篇以上に、鐘難民の鐘難民ぶり、全開です。
漆黒の嵯峨嵐山を徘徊する気分、存分にお楽しみください。
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★★★★,
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2013年1月1日(火)
2013年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。
2011年+2012年と、混んでそうなとこをあちこち特攻し、
寒さと徒労で正月早々死にかけた年越し in 京都ネタ、2013年度版でございます。
除夜の鐘が撞ける寺を巡っては大混雑で退散し、それを繰り返すうちに路上で新年を迎え、
初詣先を求めて今度は神社を巡るもまた大混雑で退散、という愚行をまた重ねるわけであります。
何故そんな下らんことをするのかといえば、もちろん、そこに年越しがあるからです。
そこに除夜の鐘があるからです。そこに初詣があるからです。決まってるじゃないですか。
わけもわからず、行く。気がついたら、既に行っている。目的や理由、由緒や薀蓄は、どうでもいい。
誰にとっても年越しは、そんな惰性と無意識が溢れかえるカーニバルのようなものでしょう。
独男の私にとっても、話は同じです。私の年越しの愚行に、理由なんか、ありません。
むしろ、理由なんか、あってはいけません。何なら、理由なく行くのが、大事です。
私の言ってることが、わかるでしょうか。私は全然、わかりません。とにかく、年越しであります。
今回は、どこへ行こうかなと。年越しで混雑になりそうなとこ、他にどこがあるかな、と。
などと狂ったことを考えてるうちに、思い出しました。メジャー観光地・嵐山へ行ってないな、と。
というか、知恩院の鐘の混雑とかはニュースで見るけど、嵐山の年越しはあまり話を聞かんな、と。
もちろん、嵐山では除夜の鐘を撞かない or 一般公開してないというわけでは、ありません。
天龍寺をはじめ嵐山にある多くの寺院では、一般の人にも除夜の鐘を開放しています。
話は聞かないけど、きっと混んでるんだろうな。であれば、行かねばならぬ。
そんな狂気の義務感に導かれて、2013年の年越しは嵐山で迎えてみることにしました。
東山界隈と同様の馬鹿騒ぎがここでも展開されてるのか or そうでもないのか。
そのあたりの徒労極まる実地確認、御堪能ください。
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2012年1月7日(土)
大本亀岡本部へ七草粥を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。
大本についての説明、どれくらい必要なんでしょうか。
本籍地を丹波に置きっぱなしの私にとっては、何となく「知ってて、普通」な感じなんですが、
一般的知名度はそれほどでもないのかも知れません。そうでもないのかな。
大本。平仮名で書くと、おほもと。読みは普通に、おおもと。
いわゆる新宗教の老舗です。「新」なのに「老舗」というのも変ですが。
明治中頃、京都北丹・綾部で開祖・出口なおが「御筆先」を記したことで始まる神道系の教団ですが、
教団を巨大化させたのは、『霊界物語』などで今なおカリスマ的人気を誇る、出口王仁三郎。
メディア戦略に天才的な才能を持つ王仁三郎は、勃興期にあった新聞&ラジオを大々的に活用、
教団を爆発的に拡大させ、「万教同根」の真理に基づいて大陸にも進出、世界各国の宗教とも提携し、
遂には郷里・亀岡の亀山城をまるごと購入、綾部と共に聖地としました。
インテリ・貴族・軍人までも巻き込むその勢いに、特高は目をつけ、大正・昭和と二度にわたり弾圧。
特に戦中行われた「第二次大本事件」と呼ばれる二度目の弾圧は熾烈を極め、
「大本を地上から抹殺する」と、1300本のダイナマイトで教団施設を城ごとぶっ飛ばしました。
壊滅状態に陥った大本は、追い討ちをかけられるようにカリスマ・王仁三郎も失いますが、
何とか自主再建を果たし、ズタボロになった亀山城址も何とか再整備。
戦前の勢いはないにせよ、平和運動・農業運動・芸術運動などに力を入れ、現在も活動を続けてます。
そんな大本が、信者以外にも無料で振舞ってるのが、1月7日の七草粥。
普段は拝観に申込が要る亀山城も、一般開放。なので、城見物をかねて出かけてみました。
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2012年1月5日(木)
正月の石清水八幡宮へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
八幡の八幡さん(やわたのはちまんさん)、地元ゆえ再び初詣です。
元旦には、今イチながらも初日の出まで拝ませてもらった石清水八幡宮ですが、
昼間の混み加減も一応チェックしておきたくなって、改めて参拝させていただきました。
混雑度を見るなら何といっても元日、せめて三が日の間に行っとくべきなのですが、
諸般の事情で4日まで身動きとれず、5日に至ってのデータ取得となってます。ご了承下さいませ。
「世は変われども、神は変わらず」というキャッチコピーの通り、
例年と特に変わるところのない、賑やかかつ穏やかな八幡の八幡さんの正月ではあるのですが、
去年の年末にはこの石清水八幡宮、国史跡に指定されるというトピックがありました。
それも本殿のみならず、明治以前の神仏習合の遺跡を含めての指定。
ちょっと前には松花堂昭乗の滝本坊跡で「空中茶席」なるものの遺構が発見されるなど、
静かに盛り上がりを見せていた八幡さんの発掘ですが、この指定でより拍車がかかることでしょう。
八幡さんの参道の横にずらっと並ぶ、石垣。あれ、遺構なんですよ。かつて林立していた宿坊の。
でも、参拝される方の多くは登ることに必死で、全然そんなことに気にしてくれません。
ので、ちょっとその辺にも触れながらの初詣記事にしてみます。興味を持ってもらえたら、幸いです。
あ、トップの龍は、本殿にいる奴。辰年ということで、フィーチャアしてみました。
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2012年1月1日(日)
2012年への年越しを、京都で迎えました、の続きです。
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2012年1月1日(日)
2012年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。
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2011年1月7日(金)
京都市内の神社で七草粥を食べまくりました。もちろん、ひとりで。
お粥は、不味い。
貧乏な家庭 or 料理の下手な家庭に育った人間が抱く、固定観念です。
バリバリの貧乏家庭に生まれ、化学調味料を「おふくろの味」として育った私も、
当然ながらバリバリのお粥ヘイター。「こんなもん、ゲ●と一緒やんか。食えるかっ」と。
幼少時に瀕死の熱病にかかった際も、断固として普通の米飯を要求した記憶があります。
米飯を湯で崩しただけの「おふくろの味」など食ったら、むしろ体と心に悪いと。
実際、お粥は、不味い。少なくとも、ちゃんと作らないと、不味い。
薄味の出汁のセンスや、米の微妙な崩れ加減を見るセンスが要求されるので、
奥が深いというか、下手すると一般的な料理より作るのが難しいものかも知れません。
野趣あふれる野草を7種類も投入する七草粥になれば、その難易度は更に上がるはずです。
人日(じんじつ)の節句である1月7日朝に食べる、七草粥。
芹・薺・御形・繁縷・仏の座・菘・蘿蔔を入れた粥を食べ、一年の無病息災を祈ると共に、
正月の暴飲暴食で疲れた胃腸を休め、青物の栄養も取ってしまおうという風習であります。
特に京都ならではの行事でもありませんが、市内のいくつかの神社では接待を展開。
その気になればお粥の食べ歩きなんてのも、できないことはありません。
本当に普通のお粥を他所で食べる機会はあんまりないですから、
お粥の奥の深さを体感すべく、接待めぐり、七草粥食べまくりをやらかしてみました。
件数が多いので、細かい客層は省略+ダイジェスト風でご覧ください。
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2011年1月1日(土)
2011年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。 ラストです。
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2011年1月1日(土)
2011年への年越しを、京都で迎えました。の、続きです。
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