松尾大社の神幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 (3) 七条通巡幸
松尾祭・神幸祭、いよいよラスト、七条通巡幸です。
松尾祭、一日くっついて見物してると、氏子さんの数の物凄さに圧倒されます。
見物人もそれなりに多いんですが、何よりも白法被の人たちが、多い。そして全員が、濃い。
数だけなら祇園祭の方が多いかも知れないし、手伝いの人も多少は混じってるでしょうが、
でも、ひとりひとりが放つオーラと、祭全体の熱狂度は、圧倒的に京都一ではないかと。
特に、インドアな感じな少年たちでさえ積極的に祭へ没入してる姿は、感動的でさえありました。
と、同時に感じたのが、この祭りが西七条 / 西市跡 / 西寺跡の祭りだということ。
出かける時は何となく「松尾、梅津、桂あたりの人たちがやってる祭」とか思ってたんですが、
考えてみれば神輿が駐輦する御旅所は、ほとんどが西七条を中心に点在。
もちろん、奉仕する氏子さんもその区域の人たちです。
これは、洛外の神様に自分の街へおいで頂く祭なんだな、と。だから「おいで」なんだなと。
祇園祭や稲荷祭と似た形式であり、特に東寺と縁深い稲荷祭とは近いものがあるんじゃないかと。
西寺跡が氏子区域の大宮社神輿に松尾神を乗せ、西市跡近くの西七条御旅所へ向かう七条通巡幸。
いよいよ神をホームタウンへ迎えることで、祭の盛り上がりはピークへ。
同時に疲労もピークに達するためか、ストリートは怒号と絶叫と微笑みが渦巻く興奮の巷と化します。
河原斎場では、古例の団子神饌・を献じる祭典が執り行われたそうです。
何故「そうです」かと言えば、見てないからです。腹減って飯食ってました。すんません。
近くに麦代餅で有名な中村軒がありますが、激混み。喫茶店でサンドイッチだけ食いましたよ。
祭典が終わった後、15時半頃、いよいよ神輿は御旅所へ向け出発です。
西二社と言われる衣手社と三宮社の神輿は、それぞれ衣手郡神社と川勝寺へ向かい、
東四社と言われる四之社・宗像社・櫟谷社・大宮社は西七条御旅所へ向かいます。
台車に乗せ、曳いての巡幸。私は東四社を追っかけました。
桂大橋を出た神輿は、少し上って七条通へ進入。肩側車線を使い切って堂々と巡幸に入ります。
この日は七条通を走る市バスも経路を変更したりします。注意がいる人はご注意を。
伝統的建造物群保存地区の如き虚構のレトロではない、リアルに古い街並が点在する西七条。
そこを通る、リアルな伝承を生きる宗像社の神輿。珍しい八角の御堂の上で、雄鳥が輝いてます。
西七条に御旅所が設けられたのは、平安京の公営マーケット・西市の付近に人口が集中、
住民が祭祀組織を作ったためだとか。
西大路七条へ入る櫟谷社の神輿。
この頃になると、傍目で見てても皆さん、疲労の色が濃くなります。
考えてみれば、今日の天候はエグかった。晴天から豪雨・ヒョウまで、汗ばむ陽気からズブヌレまで。
朝の本社で「案外、担ぎ手は醒めてる」とか思いましたが、それが大間違いであることを知りました。
そりゃ、パワーセーブせにゃ、やってられんわなと。ほとんどトライアスロンですからね。
西七条御旅所がある御前通に近づいたところで、神輿を台車からおろす四之社。
ここから御旅所までは、担いで行きます。
メガフォンで指揮する人も、もはや声は掠れ、言ってる事もほとんどわけがわかりません。
しかしテンションを下げると疲労や激痛が襲ってくるためか、狂ったように饒舌な絶叫を続けます。
「この状況の中で最後の力を振り絞ってうんぬん、わかったねえ!!!」と、
音と気合だけ伝わるスピーチに続いて、死力を尽くしての差し上げを決める四之社。
見物人は凄く多く、警察官もエンドレスで交通整理をしていますが、客層はとことんネイティブです。
いや、細かい観察をしたわけではありませんし、できる状況でもなかったですが、
場の空気が完全にネイティブというか。暖かく、優しく、そして激しい眼差しが、神輿に集まってます。
そんな視線に応えるかのように、夕陽を背にしながら最後の奮起に入る櫟谷社。
こちらもマイクを手にして、特にレイディースに向けて熱いスピーチをブチかまします。
「沿道の皆さん、あなたたちの旦那さんが、お父さんが、息子さんが、これからおっとこまえになります。もっともっとおっとこまえになれるように、ホイットホイットの掛け声と手拍子、よろしくお願いします!!!!」。
汗と泥でズタボロの担ぎ手たちが、死力を尽くして神輿を差し上げます。
過酷、あまりにも過酷。この差し上げから、御前通を南進してまっすぐ西七条御旅所へ。
露店が出まくり+子供だらけの御前通を突っ切り、神輿は西七条御旅所へ突入。
やはり露店と子供でいっぱいの境内で着御祭が行われ、やっとこさ「おいで」は終了となります。
四之社・宗像社・櫟谷社・大宮社の4基の神輿は神輿蔵に入り、3週間のあいだご滞在。
神は西七条 / 西市跡 / 西寺跡の地にとどまり、氏子地域を見守られるわけです。
平安末期にはすでに存在してた三つの御旅所を、明治時代に集結させた西七条御旅所。
御旅所でありながら領地を安堵されてたパワフルな場所ですが、
歴史の凄さ以上に現在進行形の熱気が、境内には猛烈に溢れかえってます。
先述の通り、このあたりのエリアの客層は、完全に地元 or 身内テイスト炸裂状態。
というか、その場にいる自分以外の全員が、顔見知り状態みたいな。
夜店が出るあたりも、10代の子供の数は増えますが、色気よりも完全に地元モード。
逆に言えば他所者の見物人にはとことんアウェイな状況ではありますが、
個人的には、松尾祭はこの七条通の巡幸こそを見てほしいと思います。何なら、船渡御以上に。
「京都の祭り」のプリミティブなエッセンスみたいなものを、濃厚に感じられるはずです。
感じ過ぎて、他の何を見ても物足りなくなっても、知りませんけど。
そんな松尾大社の松尾祭・神幸祭。
好きな人と行ったら、よりおいでなんでしょう。
でも、ひとりで行っても、おいでです。
松尾大社の神幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 (1) 発御祭
松尾大社の神幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 (2) 船渡御
松尾大社の神幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 (3) 七条通巡幸
松尾大社の還幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 (2014) 【前篇】
松尾大社の還幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 (2014) 【後篇】
【客層】 (客層表記について)
カップル:微量
女性グループ:若干
男性グループ:1
混成グループ:0
修学旅行生:0
中高年夫婦:1
中高年女性グループ:1
中高年団体 or グループ:5(若い家族連れ、担ぎ手の身内などを大量に含む)
単身女性:1
単身男性:1
【ひとりに向いてる度】
★★★
地元密着で顔の見える相手が多いためか、
荒っぽいノリの割にはマナーは大変よい。
ただ、強烈にコミュニティの繋がりを目にして
再生産に何も貢献してない自分って
一体何なんだろうという感慨には襲われるかも。
【条件】
日曜 9:00~18:45
松尾大社 松尾祭 / 神幸祭 七条通巡幸
4月20日以後の第一日曜日 15:30~
会場 ・ 桂大橋~西七条御旅所
松尾大社西七条御旅所 : 下京区西七条南中野町81
京都市バス・京阪バス 七条御前通下車 徒歩約2分
JR嵯峨野線丹波口駅下車 徒歩約18分
JR東海道本線西大路駅下車 徒歩約15分