藤森神社の駆馬神事へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
藤森神社の藤森祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
藤森神社。その筋の方には、競馬の神様として有名です。
京阪乗って淀の京都競馬場で勝負する前に、途中下車して必勝祈願、みたいな。
ファンのみならず、騎手や馬主など関係者の参拝も多いというから、筋金入りの馬神社であります。
ではこの社の祭神は馬かといえば、そうではありません。祭神は、神功皇后を始めとする十二柱。
新羅を攻略して凱旋した皇后が、戦旗と武器を納めたのが、この神社の始まりだそうです。
こんな勇ましい由来を持つわけですから、藤森神社は当然のように、武神。勝軍の神。
今も昔も「勝ち」を欲する人々から篤い崇敬を受け続けています。
勝負で直接メシを食う戦国大名たちはこの社の鳥居前を通る際には敬意を払って槍を下げ、
明治に入れば武運にあやかろうとしたのか陸軍第十六師団が隣の敷地へ駐屯し、
一応平和ということになってる現代では競馬の受験に勝利をもたらす神となってるのであります。
そんな藤森神社の大祭は、藤森祭。菖蒲の節句、すなわち端午の節句の開催です。
武神ゆえ菖蒲 = 勝負ということでこの日を選んでるのかどうかは知りませんが、
5月5日を男の子のお祭りの日として武者人形を飾るのは、この祭が発祥なんだとか。
早良親王が陸奥国の反乱鎮圧で出陣した様をなぞらえたという武者行列、
京都で最も優雅な神輿が何故か伏見稲荷あたりまで行ってしまう神輿巡幸、
そしてもちろん有名な駆馬神事と、実に男の子な行事が目白押しな祭なのであります。
そんな男の子の祭、男ひとりで行ってきました。
京阪藤森駅ではなく、墨染駅からちょっと北上した方が早く辿り着ける、藤森神社参道。
駆馬奉納はここで行われます。駆馬開始直前の13時ちょい前、ご覧の通りの大混雑であります。
馬の走行路と安全を確保するため、参道の端っこにしか観覧スペースがありません。人圧、凄いです。
途中で場所を移動するのは、ほぼ不可能。特に西側順光の場所からの移動は困難を極めます。
震災で駆馬神事開催是非の議論があった件、ゆえにお祓いが長引いてるの件、
仙台から乗り手が馳せ参じてくれたの件、子供を馬に乗せて将来の乗り手が育つと嬉しいなの件、
走る前に拍手すると馬が驚くのでやめてくれの件など、弁の立つ神主が長々と前説。
で、『ストロボ禁止』の看板をもって、巫女さんが馬と一緒に歩いたのち、遂に駆馬、スタートです。
藤下り・逆立ち・及び馬・矢払い・手綱潜り・一時書き・逆乗りという7種の『技』が決められる様に、
参道を埋め尽くすギャラリーからは大きな拍手と声援が送られます。
馬の乗り手には室町時代には御所警備の武官が、江戸時代には伏見奉行所の馬術指南役が、
そして明治以降は氏子が保存会を組織して引き継ぎ、トレーニングを重ねてるそうです。
昭和初期あたりまでは沿道で行われてたそうで、町内ごとに馬が走りまくってたとか。
馬、現場で見ると、想像より圧倒的に速く感じるはずです。
見る場所にもよりますが、おおむね近距離で見ることになるので、風と音が物理的に襲ってきます。
目で判断するのではなく、観客のざわめきとひづめの音+風で「来た」と判断し、写真を撮りまくり。
舞殿の裏、マスコミが脚立立ててる間から撮った、体張って馬の進行を止める男達。
怖過ぎです。何せ10m以上離れてるこっちでも馬の「風圧」みたいなのがドワーっと来ますからね。
馬が走らずリタイアになったり、落馬もあったりして、ほのぼのというより圧倒的にワイルドテイスト。
神事は『素駆け』と『技』を見せて、トータル1時間ほど。それを13時と15時の2回奉納。
技の凄さを伝えたいところですが、何せ全てが一瞬で終わるため、細かいことはよくわかりません・・・。
恐ろしいことに、馬とのマッチング及び走行は、全く当日のぶっつけ本番だとか。
普段は、歩いてる別の馬で練習するのみだそうです。とにかく大迫力の行事でございました。
駆馬神事が終わると、氏子区域をまわっていた武者行列が境内へ帰ってきました。
先頭は地元の子供達から成る鼓笛隊。神主さんが続けて見ろの件、拍手してやってくれの件、
暑い中一日大変やったなとねぎらいの件、是非鼓笛隊に加入してくれの件などを滔滔と語ります。
境内には露店が多数出て、祭りらしい賑わいを醸し出してます。
店種、客種、ともに王道ネイティブ路線。
夕方6時ごろ、氏子区域を巡幸してた神輿が、ぼちぼちと神社へ帰還。
この頃になると、担ぎ手の身内+屋台目当ての近所の子供が増え、アウェー感が増してきます。
藤森神社の神輿、江戸・明治期に氏子民が財力をつぎこみ作った、京都で最も優雅なものだとか。
近くの超メジャーな伏見稲荷大社と比べたら、ともするとローカルな印象のある藤森神社。
狭いであろう氏子区域にそんな財力があったのかとか思ってしまいますが、ここの勢力圏、実は広し。
全く意味がわかりませんが、当の伏見稲荷のあたり、この藤森神社の氏子域です。
不可解。もっとも稲荷は稲荷で、松尾の西七条御旅所のすぐ隣まで氏子域だったりしますが。
稲荷より北の東福寺あたりも、藤森ゾーン。そこより北でも藤森祭のポスター、見たことあります。
昔は泉涌寺にも神輿が出向いていたとか。東福寺には現在も一社が立ち寄ります。
氏子域のゾーニングがややこしいことになったのは、元々藤森神社が伏見稲荷の地に建ってたから。
空海が稲荷の規模を拡大させるため、藤森神社を移転させ跡地を活用したんだそうです。
だからというか何というか、祭りの日の藤森の神輿、伏見稲荷大社へも出向きます。
旧社地に駐めることで霊力を高め、ついでに担ぎ手が「土地かえせ、土地かえせ」と叫ぶそうです。
稲荷側は稲荷側で、「神様お留守」とか「三年待って」などと返答。
確かに稲荷神、稲荷祭で御旅所にトラックで運ばれ、滞在中。
ミステリーといえばかなりなミステリー、千年の時をかける土地争いとも言える話ですが、
現在進行形で祭りの時を生きる人々は、そんな細かいことどうでもええわという感じで、大熱狂。
子供も大人も、男も女も、大盛り上がりで宮入りを行います。
で、めでたく拝殿に納まった神輿の数々。
駆馬神事も盛り上がりますが、祇園祭と同じく、神輿巡幸を見ないで帰るのはもったいないですよ。
客層、全くもって地元の烏合の衆。子連れが圧倒的に多く、子供同士の集団も多し。
カップルは少な目。いても、地元か近隣系。目に見えて観光旅行風なのは少なめです。
中高年層各種も、いわゆる観光客ではなく、近所系。
地元モード濃厚とはいえ、ディープサウスのDQNテイストはさほどない。
ただし、北区や京都市内中心部とははっきりとテイストが違います。
何故か大阪ナンバーの車が神社へ向かうのをたくさん見ましたが、観光感は希薄。
ベタな関西人という感じで近隣客と地元民が同化してました。
単独女性、おしゃれなおひとり様とディープな腐女子の間という感じの人、多し。
単独男性、カメラマン親父ばかりだが、妙な独男(私みたいなの)も混じってます。
そんな藤森神社の藤森祭。
好きな人と行けば、より菖蒲なんでしょう。
でも、ひとりで行っても、菖蒲です。
【客層】 (客層表記について) カップル:若干 女性グループ:若干 男性グループ:若干 混成グループ:0 小中生:1 中高年夫婦:1 中高年女性グループ:1 中高年団体 or グループ:6 単身女性:若干 単身男性:若干 |
【ひとりに向いてる度】 ★★★ 色気的なプレッシャーはほぼないが、人圧は物凄い。 毎年5日祭日の開催なので、混雑の回避は不可能だろう。 あと、コミュニティ系と再生産系のプレッシャーは、結構ある。 他所者のアウェー感も、相当。 【条件】 |
藤森神社
京都府京都市伏見区深草鳥居崎町609
境内拝観自由・社務所・宝物殿 9:00~16:00
京阪電車墨染駅下車 徒歩7分
JR藤森駅下車 徒歩5分
市バス藤森神社前下車すぐ
Wikipedia 藤森神社