八坂神社・疫神社の夏越祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
八坂神社・疫神社の夏越祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
祇園祭、いや元々の呼称だと祇園御霊会は、
街に蔓延する疫病の退散を目的として、平安前期に開始されました。
科学の無い時代の人口密集都市・京都にとって、疫病が流行り易い梅雨明けは、恐怖の季節。
死体が次々と生まれ、その死体がさらに死体を生むという魔のスパイラルを断ち切るため、
ほとんど疫神と紙一重の荒っぽい祇園神・素戔鳴尊 = 牛頭天王のパワーを借りて、
のちには山鉾なる超巨大悪神吸引機も造り、疫神を吸引したり追い出したりしてたわけです。
で、パワフルであると同時にリスキーでもある牛頭天王の扱いの際に援用されたのが、
牛頭天王に一夜の宿を供したことで惨禍から免れたという、蘇民将来の説話。
「俺、明日、南の海へ女を引っ掛けにいくねん。でも今日、もう遅いやろ。せやから、泊めて」 と、
アポなし宿泊を強引に頼んできた神を、貧しくも粟粥などで丁重にもてなした、蘇民将来。
金持ちのくせに神の宿泊を断った弟・巨旦将来に半ギレだった牛頭天王は、このもてなしに感動、
「お前とお前の身内だけ、助けたる」 と、目印になる茅の輪を蘇民将来に授け、
巨旦将来を始めとする他の村人、つまり茅の輪を持たない者を、ことごとくブチ殺しました。
茅の輪を持っていれば、助かる。蘇民将来の身内と名乗れば、助かる。
そんな信仰から、現在でも祇園祭では奉仕者が 「蘇民将来之子孫也」 の護符を身につけ、
茅の輪の変形にあたる食えないちまきが、お守りのように重宝されています。
7月31日、一ヶ月にも渡って様々な行事が行われてきた祇園祭のフィナーレを飾るのは、
この蘇民将来を祭神とする八坂神社摂社・疫神社の、夏越祭。
フィナーレと言っても、派手なイベントはありません。設置された茅の輪を、ただ、くぐるだけ。
しかし、レアな端緒が剥き出しになってると言える神事をもって祭を終了するその様に、
祇園祭が単なる観光イベントではないことを、改めて実感できるはずです。
そんな夏越祭、ふらっと寄ってきました。
7月31日、13時半頃の、八坂神社西楼門。
掲げられるのも今日が最後となった 「祇園祭」 の幟が、熱風に揺らめいてます。
祇園祭最終日ということで、感極まった京都人が大挙して茅の輪に押しかけるのかと思いきや、
実際に西楼門あたりをウロウロしてるのは、ごくごく普段通りに観光客だらけ。
疫神社は、西楼門をくぐってすぐのとこにある、小さな社。
本当に小さいので、写真では特設テントと紅白幕で隠れて、全く見えませんけど。
案内板も多数設置され、人気の高さを物語りますが、昼過ぎの時間では混むことはありません。
というか、ほぼ、過疎。関係者の祈祷や儀式などは、午前中に全部終わったみたいです。
テントの中は、有料オプションである祈祷の待合所になってます。
祈祷は、1000円。この日限定で授与される 「茅之輪守」 と 「粟餅」 も、絶賛発売中です。
祈祷を受けるのは、地元の家族連れ系ばかり。その後をどんどん素通りしていく、観光客たち。
待合所は、片付中。関係者のみならず、一般の人も午前中に祈祷を済ませるんでしょうか。
で、茅の輪です。全然茅の輪に見えないかも知れませんが、茅の輪です。
茅をむしり取られ過ぎて、ほとんど単なる輪っかと化してしまってますが、茅の輪です。
鳥居に直付けされたスタイルのため、メビウスな∞ルートをたどることはなく、真っ直ぐくぐります。
小さな社殿の前では、簡単な座席が用意され、オプション祈祷が行われてました。
鳥居にかけられた、蘇民将来之子孫也の札。
千年以上継続する間に、山鉾の出現を始め、幾度もその姿を変えてきた、祇園祭。
しかし、信仰の最もコアでピュアな部分は、こうしてナチュラルな形で存続し続けているのです。
そう思うと、この地味さもまた、感動的です。茅の無い茅の輪だって、感動的です。
で、以上であります。茅の輪をくぐるだけなので、これで終わりであります。
あっけないな。しばし境内でも、うろついていこうか。そう思い、参道を歩き、本殿へ。
客層も客数も、いつも通り。ついでに中国人の多さも、いつも通り。屋台に絡んでる奴もいました。
「やること、やる。やること、やる」 と、連呼するという。一体、何を怒ってたんでしょうか。
祇園祭のフィナーレといった空気はどこにもない、八坂神社。
それにしても、何故この神社はこんなにも、中国人の観光客が多いんでしょうね。
向こうのガイドブックに載ってるとか、そんな話なんでしょうか。あるいは、祇園に近いからとか。
牛頭天王が好きだから、だったりして。参拝の適当さ加減を見ると、まずない話ですが。
牛頭天王のワルエッセンスであるワル王子社にも、祈りを捧げておきましょう。
もちろん 「悪」 という字は現代の意味での 「悪」 ではなく、「強い」 というような意味ですが。
でもやっぱりこんな名前なので、B系の方々から篤い崇敬を集めてます、というのは全くの嘘です。
あ、でも年越の時には 「特攻服禁止」 の看板が今だに出るので、昔は案外マジだったりして。
疫神社のワル王子社の他にも、やたら沢山ある八坂神社の摂末社。
花街が近いためか、あるいは観光客が多いためか、愛欲系の野望にもしっかり対応してます。
写真は、年々縁結びスポット色が濃くなる、大国主社。他にも、奥には美顔祈願の美御前社、あり。
さらには、挙式可能な常盤新殿、その手前にはラブホも完備。正に、至れり尽くせりです。
やはり縁結び系のグッズが並び、野望に満ちた女子が群がる社務所で、
ひっそりと、しかし確かな存在感をもってアピールしている、祇園御霊会祈祷の案内。
神幸祭の17日から還幸祭の24日までの間、そして夏越祭の本日31日と、早朝に祈祷するとか。
疫神社でやってた祈祷も、これ。神徳はもちろん、厄災除去。身体健全にも効くそうですよ。
社務所の東側には、「祇園祭クイズ」 なるもの、あり。
5択問題が、全部で12問。回答を記入し、社務所で正解をもらい、自己採点するシステム。
「全問正解したら、祇園御霊会祈祷を一回プレゼント」 とか特典があれば嬉しかったんですが、
でも特に料金もかからないので、問題用紙を手に取り、挑戦してみました。
「現在巡行してる山鉾は何基あるでしょうか?」 という問題に、
「33」 の選択肢がないので混乱したのを除けば、ほとんど瞬殺&パスで12問を回答。
自己採点すると、2問ミスってました。一問は、神泉苑での初の御霊会の年。原因は、記憶ミス。
もう一問は、「ギオンマモリ」 が何の花かという問題。これは完全に、知りませんでした。
「ギオンマモリ」 は、ムクゲ、だそうです。
境内奥に咲いてたので、撮りまくっておきました。知らなくてごめん、霧公家。
ごめん、夢供華。
ごめん、無垢夏。
ごめん、椋解。
ごめん、剥く毛。
社務所の前を再び通ると、厄除ちまきと祇園守の苗木が気になりました。
ちまきはもちろん、「蘇民将来之子孫也」 の文字入り。でもそれより、祇園守です。
ムクゲ、いい色してたな。育てるのも、悪くないかもな。でも、面倒だな。それ以前に、金、ないな。
結局、隣り合う 「藤山直美」 と 「狸」 が妙にお似合いなことだけ確認して、退出。
西楼門の狛犬ナメで、四条通の祇園商店街。人は、少な目。
が、都路里にはしっかり、行列あり。人は何故に、わざわざ京都でパフェを食うのでしょう。
そういえば、月ヶ瀬が移転してました。寄ろうかな。でも、混んでるしな。それ以前に、金、ないな。
結局、帰宅。祝祭の7月は、終わりました。明日からは、ただただ暑いだけの8月です。
何度も書いてますが、客層は全くもって、普段通り。
客の大半は、若者。修学旅行のやり直しみたいな。いつもの八坂神社です。
しかし、日本人の客が少ないのか何なのか、中国人率は異常に高し。全体の4~5割くらい。
カップル、女性グループ、多し。もちろん、観光客。中国人も相変わらず、中国人のノリ。
ただいずれも、暑過ぎるためかはしゃぎ回ることはさほどなく、狼藉もはたらきません。
疫神社の周辺は客層が異なり、茅の輪をくぐるのは、これも先述の通り、地元風の家族連れ。
あとは、変な単独がいるくらいでしょうか。ただ、数自体は非常に少ないです。
そんな疫神社の夏越祭。
好きな人と行ったら、より祇園会なんでしょう。
でも、ひとりで行っても、祇園会です。
【客層】 (客層表記について) カップル:2 女性グループ:2 男性グループ:若干 混成グループ:2 子供:0 中高年夫婦:1 中高年女性グループ:若干 中高年団体 or グループ:2 単身女性:若干 単身男性:若干 |
【ひとりに向いてる度】 【条件】 |
疫神社 夏越祭
毎年7月31日 開催
八坂神社
京都市東山区祇園町北側625
参拝自由
京阪電車 祇園四条駅下車 徒歩5分
阪急電車 河原町駅下車 徒歩10分
京都市バス 祇園下車 徒歩すぐ
公式 – 八坂神社
八坂神社 – Wikipedia