城南宮へ七草粥を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。
城南宮。その名の通り、平安京の王城南方を守護する、ロイヤルな社です。
平安遷都以前からこの地に存在したという、神功皇后&八千矛神を祀る真幡寸神社に、
遷都に際して国土の安泰を願い、国常立尊を併祀したことで生まれたともされている、城南宮。
その創建の由緒からしてロイヤルですが、平安末期には周囲で白河上皇が鳥羽離宮造営を開始し、
院政の舞台にして我が国最大の離宮の中心へ立つこととなった城南宮は、鎮守の地位を確立。
また、この地は羅城門から伸びる鳥羽作道と淀川河港が接続するジャンクション地帯でもある為、
方角の災いから身を守り旅の無事を祈る方違え = 方除のロイヤルな宿所としても、地位を確立。
多くのやんごとなき方々が熊野・石清水・春日詣に際し、この社を精進所として身を清めたのでした。
そんな城南宮、離宮と共に栄華を極めた後、南北朝時代にはやはり離宮と共に一旦、荒廃。
しかし江戸期に入り、皇室への崇敬が回復したことで再興が成され、方除の神威への信仰も復活。
幕末には、この社の参道に置かれた大砲から鳥羽・伏見の戦いが始まり大変な目に遭うものの、
皇女和宮の江戸下向に際して方除祈祷を奉仕し、 「方除の大社」 の名声が更に広く流布。
現代に至り高度成長期に入れば、直近で名神高速道路が開通し、京都南インターチェンジも誕生、
城南宮は改めて 「京都の南の出入り口」 としての顔を確立し、新たな顧客である自動車も獲得。
「車の方除 = 交通安全」 として、自動車特化型の祈祷殿が出来るほどその信仰は盛んとなり、
現代のサウス民にとって城南宮は、恐らく 「南インターとこの車の神社」 に違いないのであります。
その盛んさは、 「車祈祷で儲かるから、庭園も出来たんやろ」 と勘ぐる輩が出そうなほどですが、
そんな下衆の勘ぐりを払拭する為か、城南宮、正月の七草粥はロイヤルなる旧暦にて開催。
で、今回はそのロイヤルなる七草粥を、車ではなく電車と徒歩で、ロイヤルに食べに行ったわけです。
ただ、粥だけではネタが足りず、しかも庭園は曲水の宴の際に見たので、社周辺の徘徊も決行。
IC近くのラブホ街をうろついたり、鳥羽離宮跡をうろついたり、やたら餅を食ったりしてます。
サウスな社の、ロイヤルさとロイヤルでなさ、共に楽しんでもらえると幸いです。
城南宮の最寄り駅は、地下鉄&近鉄の竹田駅。といっても、1km以上離れてますが。
私は 「おけいはんの民」 ゆえ、更に1km以上東に離れた京阪電車・墨染駅から歩くこと、しばし。
R24にある城南宮道入口から、新堀川通の高架を潜ったりしながら、延々と西へ向かって歩きます。
高度成長期まで一面田んぼだったこの辺、現在は開発され、近くの安楽寿院も全然見えません。
結構な頻度で城南宮への道筋 or 方除の神徳を示す案内板などは見かけるものの、
基本的に単なる市街地、それもやや煤けた感じの市街地でしかない 「参詣道」 を歩くこと、しばし。
城南宮への参詣は元来、城南宮より西側を走る鳥羽街道 aka 鳥羽作道ルートがメインだったとか。
竹田街道 aka R24、近鉄、そしてあと京阪が通ってから、東側からアクセスが増えたそうですよ。
ネイティブの中年 or 家族連れに混じりながら到着した、13時の城南宮、東側の鳥居。
新堀川通までは城南宮へ向かうらしき人の姿を見なかったのに、それ以西になるとかなり、増加。
途中で見かけた標石&鳥居脇の石碑の新しさと共に、ネイティブな信仰の篤さを感じさせてくれます。
神社へ入ろうとする参拝客には、いずれの車も律儀に一時停止してる横断歩道を渡って、境内へ。
神苑 「源氏物語花の庭」 入口でおっさんに絡まれてる巫女さんの前を通り過ぎ、
何故か七草粥の際には毎回来てる気がする植木市の前も通り過ぎ、まずは本殿へお参りです。
あ、 「七草粥 一膳五00円」 の看板が出てますが、七草粥の奉仕があるのは本殿ではないですよ。
「城南鳥居」 と呼ばれる独特の形だという鳥居を、何処がどう独特なのかと思いながら、神域へ。
七草粥の奉仕は別の場所ですが、七草の献饌はしっかり行なわれてる、本殿&拝殿。
国常立尊に加え、八千矛神 = 大国主命、息長帯日売尊 = 神功皇后を祀る社に相応しい風格です。
由緒のロイヤルさが視覚的にも感じられるというものですが、参拝客はやはり、ネイティブ系がメイン。
すぐ横の祈祷受付や庭園入口にも地元系らしき客がよく入り、穏やかな光景が展開されてます。
そんな穏やかな光景を上から見守る、やや穏やかならざるインパクトを誇る神紋あり。
日月星の三光を表す紋。 「太陽と月と地球があるかぎり、大丈夫」 とかも言ってみたくなりますが。
イントロでも少し触れましたが、この地へ祀られたのは国常立尊より神功皇后・&八千矛神の方が先。
この三光の紋も、神功皇后が三韓征伐の際に乗り込んだ船の旗印に由来するものなんだそうです。
と、神紋に思いを馳せてると、何処からか呪文のようなものを唱える謎のおっさん声、あり。
「とーなのたずな、いもにのとちぎ、わたらぬさきに、ななくさなずな、とっとっとろろろろろろろろろ~」
としか聞こえない声ですが、本当は無論、 「唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先に七草なずな」 です。
呪文の出元は、本殿向かいに立つ、御覧の斎館。看板が示す通り、七草粥の提供場所であります。
こちらの七草粥は、斎館入口にて手書き&手コピー丸出しな粥チケット500円を購入し、
厨房前に詰めてる巫女さんに渡して粥と交換、テーブル席にて頂くという、セルフ形式のシステム。
で、並ぶこと、しばし。えらい繁昌です。大型バスの客によるイレギュラーな混雑っぽい気もしますが。
テーブル席は8割程の入りで、前後不覚なネイティブのおばさんと子供多し。食う場所、あるかな。
で、順番が来て巫女さんから粥を受け取り、横でお茶ももらい、何とか席へ着席。
で、頂きます。テーブルに置いてある箸を取って、とっとっとろろろろろろろろろろ~な粥、頂きます。
こちらの七草粥は、七草を粥に混ぜた状態で煮込む or サーブせずに、トッピング状態で出すタイプ。
ほんのりと、いや他のところの七草粥に比べたら、はっきり塩味が効いてる味付です。で、美味し。
ある程度まで七草を混ぜずプレーン状態で食い、それから七草を混ぜて食うこと、しばし。
塩加減も実にナイスですが、茹で加減の方も硬過ぎず緩過ぎず絶妙であり、これまた実に美味し。
素直に 「美味い」 と思える粥です。 「粥の割に」 の前置き無しに、素直に 「美味い」 と思える粥です。
御覧のように中には豆腐 or 麩みたいな餅も入ってて、そちらも楽しんで、完食。ご馳走様でした。
混んでるので、食ったらさっさと帰ります。が、入口にも展示されてた七草を、しばし拝見。
芹、薺、御形、繁縷、佛の座、蕪菁青菜、そして蘿蔔大根。プランターの展示もあり、実に七草です。
写真を撮ろうとしたおっさんに娘が 「恥ずかしいからやめとけ」 とか言ってる真横で、恥ずかしく熟視。
で、延々聞こえてた呪文語尾の 「とっとっとろろろろろろろろ~」 の意味に悩みながら、斎館を退館。
で、帰るのもいいんですが、ちょっとネタ不足な気もするので、椿餅も買ってみました。
椿餅。斎館東側の離宮茶屋前にて、 伏見の京菓子処・松甫堂が2月に販売してる餅であります。
読みは、 「つばきもち」 ではなく 「つばきもちい」 。語尾の 「い」 の意味に悩みながら、1パック購入。
2個入りで、500円くらい。早めに買わないと、よく売り切れます。松甫堂の名物・八方焼も販売中。
椿餅を買った後、東から入ったので帰りは西からと思い、東側の交通安全祈祷殿を通過。
御覧の通り、ここが自動車用の祈祷殿。本殿と同じく、地元風の客が穏やかな調子で入ってます。
完全に乗用車特化型の祈祷殿に見えますが、バイクや自転車、更には小型船舶の祈祷もOKだとか。
小型船舶がOKなのは、淀川河港 = 鳥羽の津が近くにあったことの名残、かどうかは知りません。
で、その車祈祷の顧客を生んだ京阪国道&名神高速を、何となくうろついてみるの図。
貴族の参拝道でもあった鳥羽作道、その現代版たる京阪国道は、今はひたすら喧しい産業道路。
府外と繋がる水路の現代版たる名神と共に、ロイヤルな城南宮周辺に凄い雑音を撒き散らしてます。
皮肉な話ですが、鳥羽離宮跡の発掘調査が名神建設の為に進展したというのもまた、皮肉な話。
名神・南インターは、1963年、鳥羽離宮・北殿の旧地と推定される辺に建設されました。
で、南インター名物とも言える御覧のラブホ街は、田中殿の旧地と推定される辺に建設されました。
ラブホ、最近はコスプレ対応なのか、 「体育館」 もあるようです。そういえば、 「社長室」 もあったな。
鳥羽離宮跡という地の利を活かし、「舟遊び」 とか 「絶倫帝」 とかもあると、いいかも知れません。
絶倫帝・白河上皇が造営を始めてから約2世紀後、鳥羽離宮は荒廃し、鳥羽作道も荒廃。
後に、よりクネッた筋の鳥羽街道が形成されます。現在は、九条以南の千本通になってる道です。
その鳥羽街道に於いて、城南宮近くの街道名物として江戸期に名を上げたのが、御覧のおせきもち。
今は、現代の 「関」 たる南インター&城南宮西口の目の前にて、営業中。寄っていきましょうか。
あ、おせきもちの 「せき」 は 「関」 ではなく、 「せき女」 なる人が名前の由来だそうですが。
そんなおせきもち、店内にテーブルが幾つかあり、飲食も可能。せっかくだから、食べていきます。
メニューとお茶を持ってきてくれた大将に、おせきもち2個310円&美味げなおはぎ420円をオーダー。
大将によると、京阪国道が昭和に開通する以前は、やはり現在の千本通沿いに店があったとか。
で、やって来た、おせきもち&おはぎ。言うまでも無く、手前の餅が 「おせきもち」 です。
弾力に富んだプレーン餅&よもぎ餅に、アブストラクトな餡がアブストラクトに乗ってる、おせきもち。
アブストラクトな外観の割に、餡の味わいはベーシック路線。むしろ、餅の弾力感の方が独特かなと。
おはぎも、絶妙に米粒が立ってるベーシック路線。こし餡がまた美味で、私はむしろこっちが好み。
街道名物を食ったのだから、かつての街道 = 現在の千本通近くの史跡も見ときましょうか。
おせきもちの店舗から少し西へ行った辺には、その名もずばりな 「鳥羽離宮跡公園」 があります。
現代交通の関所に近い為か、 「車現金買取」 の看板などが史跡ならざるインパクトを放ってますが、
京都市が 「ここは史跡鳥羽殿跡です」 と言ってるのだから、間違いなく史跡鳥羽殿跡であります。
「都遷りが如し」 と称されるほどの勢いで造営された鳥羽離宮では、広大な池も掘削。
「南北八町、東西六町」 にも及ぶ池へ、貴人たちは龍頭鶏首舟を浮かべ、舟遊びを楽しんだとか。
跡地公園には、御覧のように池も一応作られ、離宮庭園の遺構である 「秋ノ山」 も一応残ってます。
が、基本的には単に普通の公園であり、子供が普通に遊び、一応池では椿が水面に揺れるのみ。
鳥羽離宮の諸行無常を感じながら椿を見たら、何か、椿餅をここで食いたくなりました。
さっき餡餅を何個も食ったばかりですが、公園のベンチを借り、カバンから椿餅を出すこと、しばし。
そういえば城南宮の大祭・城南祭は、餅の振舞が盛んだった為、 「餅祭り」 とも呼ばれたそうですよ。
それに因み、ひとり餅祭りと洒落てみましょう。で、手書きっぽい札を貼った箱を開けること、しばし。
で、椿餅。椿の葉は多分、本物。この2枚をポイントにして持ち、食うこと、しばし。
餅自体は、割と普通の粟餅系。中には餡が入ってた気がしますが、一口で食ったので記憶、無し。
上の黄色い何かが、柑橘系の風味で良いアクセントとなってて、美味し美味しと2個目も一口で完食。
ひとり餅祭りを無事敢行し、何の用事で来たのか忘れたところで城南宮の七草粥訪問、終了です。
城南宮・七草粥の客層は、中高年が主体です。
基本層は、ネイティブ系。汎関西系の移住系も含めたネイティブ系というか。
若めの家族連れから老人まで、結構な幅の団体 or グループが多いですが、メインは中高年。
大型バスで来た観光ツアー風は、完全に中高年というか、はっきりと老人メイン。
ツアー客といっても、いわゆる観光テイストは希薄で、寺まわりとか88ヵ所何とかな、そんなノリ。
中国人も若干いましたが、数的にはネイティブが基本であることに変わりはありません。
カップルは、地元風で和んだ感じの20代後半から30代くらいのが、たまにいる程度。
若者は、それなりにいますが、親子連れだったりとかが大半で、たいていが地元。
単独は、ほとんどいません。たまにおっさんがいるくらいで、カメの姿もあまり見かけません。
そんな城南宮の、七草粥。
好きな人と食べたら、より無くて七草なんでしょう。
でも、ひとりで食べても、無くて七草です。
【客層】 (客層表記について) カップル:微 女性グループ:微 男性グループ:若干 混成グループ:0 子供:0 中高年夫婦:2 中高年女性グループ:2 中高年団体 or グループ:5 単身女性:超微 単身男性:若干 |
【ひとりに向いてる度】 【条件】 |
七草粥
毎年 2月11日 城南宮にて開催
城南宮
京都市伏見区中島鳥羽離宮町7
境内参拝自由
市営地下鉄 竹田駅下車 徒歩約15分
京都市バス
城南宮下車 or 城南宮東口下車 徒歩3分
城南宮 – 公式
城南宮 – Wikipedia