綾部の大本本部・梅松苑へ節分大祭を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。 【後篇】

2016年2月3日(水)


綾部の大本本部の節分大祭、前篇の続きです。

大本開祖・出口なおの写真を見ると、随分前に死んだ祖母のことを思い出します。
恐らく、誰にとっても 「厳格なる祖母」 のアーキタイプたり得るであろう風貌を持つなおですが、
人生の大半を 「丹波の貧しい寡婦」 として生きた祖母を持つ私には、その印象がより強いのです。
『大地の母』 などで描かれる、帰神前後のなおの生き様。そんななおに対する、周囲の反応。
そして、他の地方の人よりは生々しいアクセントで読解が出来ているであろう、丹波の言葉の数々。
読んでいると、まるで親戚の昔話を聞いてるようなリアリティと、不思議な温もりを感じるのです。
それゆえに私は、大本二大聖地の内、綾部・梅松苑を 「なお = 土着的な信仰の場」 と勝手に捉え、
「王仁三郎 = 開明的 = 普遍的」 である亀岡・天恩郷と対を成す場だ、と思い込んでたのでした。
で、教義はわからなくとも、丹波的な何かで感覚的にわかる部分があるのでは、と思ってたのでした。
しかし、綾部へ実際に行ってみたら、違うんですよね。やっぱり何か、わからないんですよね。
綾部は、確かに近代以前は農業メインの集散地でしたが、明治以後は産業化&商業化が進行。
後にグンゼへと結実する蚕糸業の成功こそが逆に、糸引きを生活の糧とするなお達を直撃します。
発狂者が続出する極貧の中、なおは帰神へ至りました。 「いり豆に花が咲く」 という言葉と共に。
なおの貧苦は、農民の貧苦ではなかったわけですね。もっと近代的な貧苦だったわけですね。
「煎られた豆に花が咲く」 という、農民の願いというよりは都市細民の小さな祈りを感じさせる、何か。
と同時に、単なる時代状況に於ける怒りを越えて、より根源的な価値の転倒を希求する、何か。
その何かは、王仁三郎による教団拡大の際にもOS or セントラルドグマとして脈動し続けると共に、
苦しい現代 or もっと苦しい未来にさえ直結する普遍性をも、獲得してるのではないでしょうか。
そして、この夜の綾部で私が感じた不思議な雰囲気、何なら疲れるほどに不思議な雰囲気もまた、
超越的な普遍性とローカリティーが融合 or 衝突することで、生まれているのではないでしょうか。
いや無論、こんな思いつきの片言もやはり、わからなさを無理矢理言語化しただけに過ぎませんが。
というわけで、何もわからんまま紛れ込み続けてる大本・梅松苑の節分大祭、後篇であります。
祭の最後、奇蹟の種子がまかれる様を見て、私は何かを理解できるのでしょうか。


22時に長生殿から逃亡し、23時の人型流し隊出発まで待つべく戻ってきた、みろく殿前の広場。
広場、客層が夕方と大きく変わってました。20代以下の数が一気に増え、地元感が濃くなってます。
露店も、まだまだ稼働中。というよりは、むしろこの時分からが本調子という感じ。福引も依然、活況。
最早、単なる地元祭状態と言えるかも知れません。長生殿と真逆のアウェー感を感じるくらいです。


うどん奉仕所にも、行列あり。来た時から気になってたので、人型流しを待つついでに入ります。
行列に並び、受付で400円のうどん券を買い、戦場状態でごった返す厨房にて受け取った、うどん。
教団内部の人事についてあれこれと話す爺さん達と相席にて食したその味は、実に普通に、うどん。
具は、揚げ・蒲鉾・ワカメ・ウズラ卵と、豪勢。出汁も、七草粥のような無味系でなく、本当に普通。


食い終わったら、外にもある祭儀モニタで祭儀の進行をチェックしつつ、待つこと、しばし。
改めて地元祭状態な広場を見てると、教団の綾部への定着ぶり、入り混じりぶりを、強く感じます。
「長生殿」 なるワインを売る店まであったり。綾部発の教団なので、当然といえば当然なんでしょうが。
ただ、完全に入り混じってるかと言えば、それもまた少し違うという。何とも、不思議な雰囲気です。


もうすぐ23時なのにまだまだ稼働してる、北側入口前のベタな露店群も、覗くこと、しばし。
完全に、普通の祭でよく見る単なる夜店になってます。で、その単なる夜店ぶりが、何とも、不思議。
23時が近付くと共に、客層は更に若年化してきました。半数近くが、20代かそれ以下かも知れません。
信徒感がゼロな子供や家族連れも増えて、地元祭感は更に増幅。この感じもまた、何とも、不思議。


空間の独特さに困惑してると、23時ジャスト、祭儀モニタの画面の中では大きな動きあり。
人型が入った壺を持つ瀬織津姫の集団が、移動を始めました。長生殿を出て、ここへ来るわけです。


で、しばらくした後にやってきた、松明と100人ほどの祭員、そして100人ほどの瀬織津姫。


門から外へ出た行列は、雅楽を鳴らす車に先導されて、見物客が並ぶ綾部の街を、巡幸。


真っ直ぐ綾部大橋へは向かわず、街を細かく巡幸する何百人もの行列と、燃えまくる松明。


長生殿内から着いてきたのかも知れない大量の人達を後につけて、行列は街中を、巡幸。


深夜ながら、普通の神社の祭とほとんど同じ温度感・親和感の街を巡幸する、瀬織津姫。


で、辻々を常に祓ってた大麻司による修祓後、行列は和知川に架かる綾部大橋に、入橋。


で、橋は祭員以外は入れないので、川の手前側 = 西岸で人型流し開始を待つ、見物人。
西岸、木が多し。その為、視界のある場所に人が集中しますが、何も見えなくなる程は混みません。
人数的には、50~100人くらいでしょうか。ちょこちょこいるカメ連中は、堤防の下へ降りて張ってます。
私は超望遠で観ようと思い、南側へ。橋上では、整列した祭員が祝詞 「神言」 奏上を始めました。


で、祝詞を読み終わってから流すのかと思ったら、読んでる途中の0時前、人型流し、開始。


ひとつひとつの壺から人の手により取り出され、人の手により流される、人型&型代用紙。


人の手で流される為、 「量や勢いがぶっちゃけ写真で見た通り」 と私が思ったのは、秘密。


流される時間は、5分あるかないか。計ったわけではないですが、決して長くはありません。
やがて放流を終えた祭員一行は、梅松苑へ帰還。見物客がその後を追いますが、私は疲れました。


また疲労に加え、祭儀闖入中に攣った足&腹筋へ寒さが沁みてきました。痛い。凄く、痛い。
なので0時半、ほぼコンビニしか開いてない駅前を通り、基地として確保してたホテルへ一旦帰還。
関西では1時間15分遅れでやってる 『怒り新党』 を観たりしながら、しばし現世の安楽を堪能します。
しんどい。もう、このまま寝たい。本当に寝ると、何の為にこの部屋を取ったのわからんけど、辛い。


しかし、奇蹟の種子がまかれる豆まきは、見届けねば。そう思い、2時前にホテルを再出発。
夜中も通れる綾部駅通路を通り、0時の時よりも更に寝静まってる市街地を歩いて、再び梅松苑へ。
一般の家は豆まき、もうやったのかな。そういえば、綾部の節分のかけ声は 「福は内、鬼も内」 とか。
理由は、九 「鬼」 氏。 「大本の影響で」 と言われても信じるくらい、街には十曜が溢れてますけど。


そう、大本の豆まきのかけ声は、 「鬼は内、福は内」 。 「鬼」 が根本神なのだから、当然です。
全くの無関係でもないんでしょうけど。神紋たる十曜も、九鬼氏の九曜紋が元ネタという話もあるし。
大本と綾部はやはり、密接な繋がりがあるんだな。とか思いながらまたやって来た、大本ゾーン入口。
気温は、0度。京都より寒いかといえば、案外そうでもないんですが、でも当然ながら普通に、寒し。


焚火の暖を求めてみろく殿前の広場を再訪すると、23時頃には溢れてた客が、全然いません。
教団スタッフしかいない感じです。露店などは大体、終了。福引も、終了。うどんも、終了で撤収中。
「長生殿」 ワインを売る店だけが、気を吐いてました。あ、あと甘酒の奉仕も、健在。流石であります。
で、また祭儀モニタで状況を確認。すると、スタッフの人が動きのない画面を見て、 「もう出たな」 。


本当かと思って看板の方を見たら、本当に祭員&瀬織津姫の行列がすぐやってきました。
それと同時に、23時より少なめながらも見物客が、集結。人型流し、第2回にして最終回、出発です。


23時の際は開いてた店も大半は閉まった街を通り、今度は最短距離で橋を向かう、行列。


完全に寝静まった街を何百人&松明が進む、というシュールさを見せながら、一行は巡幸。


気温低下で松明の煙を異様なくらい強調させながら、早くも綾部大橋へやって来た、行列。


で、入橋後の流れは、前回と同じ。祝詞が読まれる中、3時過ぎ、人型流しが始まります。
今回は人が少なめになったので、より近い場所で放流を見ようと橋の袂の傍へ陣取ってみましたよ。
決して、望遠で正面に近いアングルを確保できる南側へ行くのが、面倒になったわけではありません。
断じて、面倒どころか足がもう死ぬほど痛いので、歩くことさえ億劫になってるわけでもありません。


至近ゆえ放流はクリアに拝めるものの、周囲の客の大半は写真など撮らず、祝詞を唱和。


あと最終放流の為か、前回よりもボリュームが増えてるようにも見える、人型&型代用紙。


それでも流される時間はやはり、前回同様に5分あるかないか。夢のような時間であります。
あ、かなりの人型が橋へ付着してましたが、教団の人が橋外へ出て、全て手作業で落としてました。


というわけで、2度目の大祓も無事終了。後は、長生殿へ戻り、クライマックスの豆まきです。
奇蹟の種子をまく、豆まきです。必ず、見ないといけません。見ないと、参綾した意味がありません。
なので、長生殿へ絶対に戻らなくてはいけません。戻りたくなくても、絶対に戻らなくてはいけません。
足が痛かろうと、腹が痛かろうと、正直言って興味もほぼ失っていようと、戻らなくてはいけません。


が、そんな意志に反して私の足は、丹波の深き霧に包まれ始めた駅前へと私を向かわせ、
あたかも神慮の如くホテルの部屋へ導きし後、深き霧の中にいる清原を眺めさせたりしたのでした。
いやまあ、逃げ帰って来たのであります。またも、敗退であります。キツかった。本当に、キツかった。
あ、後で知ったんですが大本の豆まき、豆はいり豆ではなく生豆とか。神の経綸はやはり、難しい。

節分大祭、客層は記事内で触れてる通り、各ゾーンで結構異なります。
長生殿の中は、ほぼ信徒さんオンリーで、50歳以上の中高年をメインとした烏合の衆。
みろく殿前の広場は、地元の若い人がメインで、夜が更けるのに従ってもっと若くなるという感じ。
人型流しを行う綾部大橋の周辺は、信徒さんと、信徒さんか識別不能な地元の中高年が多し。
巡幸の見物客も、信徒さんか識別不能な地元の中高年が多し。深夜は若者が増えますが。
地元の人と教団の人の温度差みたいなのが限りなくない為、識別、難しいんですよね。
教団スタッフに地元感はさほど感じないんですが、地元の人は教団へ馴染んでるように見えました。
勧誘の類は、一切なし。私だけでなく、他の人が勧誘されてるのを見かけることも、特になし。
ギロっと見られることは何度かありましたが、それは単に、こちらが不審者だという話であります。
冷やかし系・物好き系・スピリチュアル系・霊界系などなど、その手の輩の姿も、全然なし。
言うまでもないというか何というか、ごく普通の観光客や観光団体などは、影も形もありません。

ひとりで出かけるのに向く祭かどうかと訊かれたら、
その人がどれくらい大本 or 宗教に対して興味を持ってるかによると思います。
で、相当興味を持ってないと、ぶっ続けで参加 or 見物するのは、正直しんどいと思います。
薄い興味を持ってるなら、広場+甘酒+人型流し初回だけ観るのが、いいじゃないかと。
もう少し興味があるなら、上記プラス長生殿へ21時くらいからお邪魔 or モニタ視聴がいいかなと。
あと殿内に入るなら、祝詞&讃美歌の本を入手しといた方が、申し訳なさが減るかも知れません。
強烈なアウェー感を感じながら、他人様の信仰の場にお邪魔し続けるのは、なかなか辛いものです。
ここに、丹波的なノリへのアウェー感まで乗っかってきたら、人によっては倒れてしまうでしょう。
私は丹波的なノリには馴染みがありますが、そうした丹波的な人達が祝詞を熱心に読むのを見て、
わかるようなわからないような不思議さと、そして面白さを、ずっと感じていました。

そんな大本本部・梅松苑の、節分大祭。
好きな人と行けば、より艮の金神なんでしょう。
でも、ひとりで行っても、艮の金神です。

綾部の大本本部・梅松苑へ節分大祭を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。 【前篇】

【客層】 (客層表記について)
カップル 微
女性グループ 若干
男性グループ 微
混成グループ 0
子供 0
中高年カップル 2
中高年女性グループ 2
中高年その他 5
単独女性 微
単独男性 若干

【ひとりに向いてる度】
★★★
基本、その人次第。
いわゆる新宗教のアウェー感は希薄と感じたが、
別種の独特さがあり、そこへ馴染めるかによると思う。
単純に面白がれるものではないし、身体疲労も結構大きい。
ただ、興味と機会があるなら、行ってみるのもいいかも知れない。

【条件】
2月3日 16:00~2月4日 4:00


節分大祭
毎年 2月3日 大本本部・梅松苑にて開催

大本本部・梅松苑
京都府綾部市本宮町1-1

JR山陰線&舞鶴線 綾部駅下車 徒歩約20分
 

大本 – 公式

大本 – Wikipedia