まいづる細川幽斎田辺城まつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2018年5月27日(日)


まいづる細川幽斎田辺城まつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

京都には、城らしい城が、ありません。全くなくもないですが、あまり、ありません。
二条城淀城跡伏見桃山城。いずれも、城といえば城です。立派に城です。が、何か違う。
二条城は、離宮感が強過ぎて、城に全然見えない。淀城跡は、本当に単なる廃城跡でしかない。
伏見桃山城に至っては、昭和元禄の張りボテ遺産で、現在は入城さえ不可能。お粗末です。
「いやいや、日本各地の城だって、大半は昭和元禄の産物だよ」 とか思われるかも知れませんが、
再建にかけられた想いや、今もなお続く城への想いでは、かなり差があるんじゃないでしょうか。
端的に言うと、京都は城への関心が低いという。偽京都人である私の中でさえ、正直、低いという。
しかし、城を巡る京都のこうした微妙な温度感も、視野を府に拡げると、事情は変わってきます。
亀岡園部の城下町感、福知山のお城まつりに於ける盛況ぶりは、当サイトでもお伝えしてる通り。
そして、京都府のさらに北にあって、福知山と同じように 「城の街」 たり得てるのが、舞鶴でしょう。
舞鶴。日本海に面し、食・名所・産業などのあらゆる面で 「海の京都」 を体現してる街です。
この街に於いて最も高い知名度を誇ってるのは、現在に至るまで活躍し続けてる軍港の、舞鶴港
共に発展した街・東舞鶴も、正に軍都な趣を持ってます。が、これが 「城の街」 なのではありません。
「城の街」 は、反対の西舞鶴の方。 「城の街」 と呼ぶのは、ここが田辺城の城下町だったから。
肥後細川家の礎&御所伝授で知られる細川幽斎が、信長から南丹後を任され建てた城、田辺城。
プレ関ヶ原の籠城戦 「田辺城の戦い」 の舞台となり、別名 「舞鶴城」 は街の名にもなりました。
明治維新であえなく消滅しましたが、昭和初期から再建が始められ、平成には立派な城門も完成
この城門完成の頃より、毎年5月末には 『まいづる細川幽斎田辺城まつり』 も開催されてます。
実に、 「城の街」 です。ので今回、京都と城の関係をより精査すべく、祭りに遠征してみたのです。
城を中心に一体化してる街を見よう、とか思って。城を大事に思う心に触れよう、とか思って。
しかし、現地で見た 「城の街」 の姿や雰囲気は、何か独特のものだったのでした。


「海の京都」 たる、舞鶴。しかし、向かう道中のJR車窓から海が見えることは、ありません。
1660円の切符で朝6時半に京都駅を出て、山陰線舞鶴線と乗り継ぐ間、電車は常に山中を疾走。
結局、海を一度も見ないまま、9時15分過ぎに西舞鶴駅へ到着しました。本当に海の街なのか、ここ。
降りたのは、地元系が数人。いずれも、お城まつり目当てには見えず。本当にやってるのか、祭り。


駅員さんに切符を渡して改札外へ出ると、駅の建物はそこそこ近代的で、そこそこ大きめ。
しかし、祭りの雰囲気はやはり、なし。元気な子供達が、全然関係なさげに走り回ってるばかりです。
田辺城は、駅西口を出て、北へ進んだ辺。祭りの開始時刻はとっくに過ぎてるので、早速向かいます。
で、駅を出ると、駅前に巨大看板あり。 「かまぼこの街 舞鶴」 と。やっぱり、海の街だったんですね。


かまぼこもいいけど、魚介、食いたいな。特に、名物というトリ貝岩牡蠣、食いたいな。
とか思いながら歩いてると、太鼓音が聞こえました。で、その音の方へ歩くと、田辺城へ着きました。
田辺城。現在の正式名称は、舞鶴公園。再建された御覧の城門などと城址で構成された、公園です。
祭り、本当にやってますね。ただ、市民まつり or 行政主導感が、何故か妙に濃く感じられますけど。


そんな行政主導感を感じながらも、とりあえずまずは城門&二層櫓をしっかり、拝見。


地元資産家によって昭和初期に再建されたという二層櫓・彰古館も、少し寄って、拝見。


で、しばし拝見した後、ウェルカム家紋である細川家・九曜紋に睨まれながら、入城。


で、入城した先には、眩しい新緑の彼方に二層櫓を拝む、公園然とした公園が広がってます。
祭りのメインステージは、公園北西側にある小高い場所。南側では、御覧の山車なども待機中です。
辺りは、地元の子供&親子連れ、時代コスの子供&大人、そして制服姿の自衛官が入り混じる感じ。
コス民は極めてリラックスしてて、コスのまんまのんびり休憩してる異景が、あちこちで発生しまくり。


山車は、 「田辺城の戦い」 絡みの芝居を子供が演じるという芸屋台が数基と、櫓太鼓が数基。
御覧の屋台は、文化4年製。レアものですね。かつては、城の鎮守・朝代神社の祭りで活躍したとか。
本格稼働する前の櫓太鼓も、子供が遊びで太鼓を叩いてたりして、とても絵になる風情を放ってます。
山車の周囲には、露店ゾーンもあり。かき氷などのベタな店と共に、幽斎そばなんてのも出てました。


と、のんびり開始を待つ感じなのかといえば、田辺城まつり、先述通りとっくに始まってます。
メインステージではダンスや市長の挨拶などが行われ、御覧の城址エリアでも籠城芝居がスタート。
芝居では、幽斎の息子の嫁・ガラシャの揺れる心模様を、おばさん団体が浪曲コーラスで表現したり、
あるいは籠城と古今伝授で揺れる幽斎の心模様を、幽斎自身が演歌全開なこぶしで歌い上げたり。


で、歌いまくりの芝居が終わった頃、海自による寄進米御輿が帰ってきたり。


その後、子供の芸屋台では、歌いまくりではなく普通の芝居が行われたり。


で、芝居が終わると、ガラシャなどコスの人達が広場をぐるぐる回り始めたり。


ぐるぐる回ったコスの人達は、そのまま城門から城外へ出て、城下町の巡行を開始。


街の人に 「毎年よおやるわ」 とか言われてる行列は、太鼓を打ちながら、駅前も巡行。


で、この櫓太鼓の打ち方が、写真ではひとつもわかりませんけど、凄くユニークなんですよ。
現代和太鼓でよく見る力任せ&ロック的なドンドコバンバカではなくて、まるで舞うように打つという。
また 「舞う」 といっても、舞踏性よりは音楽的 or 祭儀的な動きに見えるという。何とも興味深いです。
駅前を通り過ぎた行列は、妙がデコのある商店街なども回ります。魚介が美味そうな店、ないかな。


で、街を回った行列は、帰城。勝ち鬨を上げてました。なので、これにて午前の部、終了。


いや、本当に午前の部が終了かどうかは知りませんが、とにかく腹、減りました。飯、食います。
行ったのは、追尾中に見かけた、 『魚源』 。トリ貝と岩牡蠣が食える定食があったので、頼みました。
で、岩牡蠣、美味過ぎる・・・ミルク的で柔らかな食感に加えて、貝を超えた何かが濃厚にあり過ぎる。
圧縮された海の旨味を飲んでるみたいで、口にする度、思わず笑みが浮かびます。ひたすら、至福。


で、トリ貝。こちらは、あくまでも大きい貝の範疇は超えない感じ。ただもちろん、凄く美味い。
コリコリの食感と仄かな甘味は、評判通り。海の旨味みたいなのも、濃厚です。あと本当に、大きい。
他の刺身も、美味。特に、海老。土海老、と言うんでしょうか。実に甘く、吸い取るように瞬飲しました。
で、食ったら城へ戻ります。帰城途中、沿道で妙によく見かけるツツジに、海感ないなとか思ったり。


で、大手門前で賑わう露店ゾーンでは、焼鯖寿司に海感あるなとか思ったり。


で、戻った14時頃からは、櫓太鼓の大会が始まりました。各地区が打ち比べる、という。
しかし、太鼓が出てこない。呼ばれても、準備が出来てても、何なら既に叩き始めても、出てこない。
懇願じみたアナウンスが繰り返された末、やっと1基が出て、他の櫓も出て、始まりました。何なんだ。
太鼓は、基本的に2人1組で打つ感じ。で、巡行中も印象的でしたが、この打ち方が凄く、独特です。


2人は、片方が 「○●●●」 とか 「●○●●」 といったリズムをショートストロークで刻むように打ち、
もう片方がメロというかリードらしきパートを、もう少し大きなアクションを伴いながら打つ、という感じ。
リズム側は基本的にパルスリズムをキープしてますが、リードはそれに合わせたり合わせなかったり。
タメ or モタリ的にもズラしますが、 「打ちそうで打たない」 的なフェイントの間合いもあったりします。


写真で見ると、やっぱりドンドコ和太鼓に見えてしょうがないですが、実際の演奏は全然、異質。
というかまず何より、バチが太い。持ち難そうなくらい太く、そして短い。ので、何かバチに見えない。
ので、打ち方も極めて独特になります。個人差もありますが、先述通り舞うように打つ人が多いです。
でも、 「派手に打つ」 のではなく、 「早く打つ」 でもなく、もっとディープで、かつ音楽的な太鼓という。


写真だとどうにもドンドコですが、でも、違う。むしろ、ヒットしてない時の間こそ光る、という。
タイム感が抽象芸術の域に入ったドラム表現、その萌芽。大袈裟に言うなら、そんな感じでしょうか。
演奏は、司会が 「そこまで」 と言ったら終わることになってるそうですが、大半のチームは、終わらず。
「そこまで」 の声が何度も何度も虚しく響く中、打ちまくる。全く終わることなく、打ちまくる。何なんだ。


全地区が打ち終わると、今度はまつり全体の〆として、全地区の総躍りならぬ総打ちがスタート。
また 「そこまで」 が連呼されますが、終わらない。一旦終わっても、どこかが打ち始める。何なんだ。
市長が閉会挨拶を始めても、お構いなしに打ちまくる。で、いくつかの地区は、そのまま帰ってしまう。
慌てた司会がマイクで呼び止めますが、それでもお構いなしに打ちながら、帰ってしまう。何なんだ。


という感じの、田辺城まつりでありました。祭り全体はまあまあですが、太鼓は良かったですね。
で、帰る前に一応、再建された二層櫓と城門も拝んでおきます。どっちも、資料館で、入館無料だし。
五右衛門アイテムが大量に展示されてる二層櫓・彰古館は、経年の風味あり。上からの眺めも、楽し。
城門の方は、もちろん城資料を展示中。その中には、朝代神社の祭りについての絵巻もありました。


祭りを描いた江戸期の絵巻には、あの太くて短いバチを使う櫓太鼓の姿が、しっかりありました。
ディープな何かを感じさせる太鼓、やはり歴史があったんですね。ゆえに、何かがこじれてるのかも。
太鼓側と行政側で祭り観が違う、的な。そういうのも、現代の 「城の街」 の姿かも知れませんけどね。
と、適当な妄想をしながら立派な城門を出て、掃除が始まってる広場を見ながら、退城しましたとさ。


で、帰るんですが、その前にやはり、海が見たい。 「海の京都」 へ来たんだから、海が見たい。
ので、海がある西舞鶴の北部へ向かうべく、巡行時にも気になった妙なアーケードの商店街を北上。
太鼓で特に光ってた漁師町・吉原へ行ってみました。が、海を見に来たのも忘れるくらい、街、渋過ぎ。
渋い割に子供が多い通りを抜け、ベニス感のある川に見入ります。海ではないですが、でも美しい。


もちろん、その川がすぐ先で流れこむ海も、拝みます。天然の良港・舞鶴湾、というやつですね。
自家用車のように小型ボートが並ぶ先で、穏やかに広がる、海。何か海っぽくないけど、でも美しい。
美しい美しいと不審者丸出しで譫言を言いながら、夕暮れになるまで街と川と海を見つめていました。
で、見つめる内に腹が減り、よっしゃまた岩牡蠣と思ったら金がなかったので、そのまま帰りました。

田辺城まつり、客層は、地元の親子連れや子供が9割方を占めます。
カップル率は、低めです。若者というよりは、子供と夫婦が圧倒的に多いという。
DQN感は、太鼓などの人にあるくらいで、少なくとも客でその手の連中がいることは少なめ。
また、観光丸出し系や消費者面した輩が前後不覚でウロウロしてることも、あまりありません。
単独も少なく、単に近所の人としてふらっと来てる中高年、あとはカメが少しいる程度。
どこにでもあるような市民まつりですが、同時にどこにもない独特の雰囲気も漂ってるのが、
なかなか興味深い祭りではないでしょうか。

そんな西舞鶴の、まいづる細川幽斎田辺城まつり。
好きな人と行けば、より西舞鶴なんでしょう。
でも、ひとりで行っても、西舞鶴です。

【客層】 (客層表記について)
カップル:若干
女性グループ:若干
男性グループ:微
混成グループ:微
子供:3
中高年夫婦:若干
中高年女性グループ:1
中高年団体 or グループ:5
単身女性:微
単身男性:若干

【ひとりに向いてる度】
★★★★
客層から考えても、他所者ははっきりと浮く。
しかし、場所が広く人も多いため、ほぼ気にならない。
街の雰囲気と共に楽しむと、味わいが出る祭りだと思う。
ただし、芸屋台のルックと太鼓の演奏は、極めて興味深い。
あと、岩牡蠣の出荷に間に合えば、絶対食うべき。

【条件】
日曜 9:30~15:40


 
 

まいづる細川幽斎田辺城まつり
毎年5月最終土日 舞鶴公園一帯にて開催
 

舞鶴公園
舞鶴市字南田辺地内
入城基本自由

JR舞鶴線 or 京都丹後鉄道
西舞鶴駅下車 徒歩約7分
 
 

まいづる細川幽斎田辺城まつり – 公式

まいづる細川幽斎田辺城まつり – Wikipedia