京丹波・食の祭典へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
「車社会」 の文化と、京都。関係があるような、ないような、そんな話ではあります。
車を置く場所にも走らせる場所にも困る京都の中心部は、もちろん 「車社会」 ではありません。
逆に、全ての文化行動が徒歩圏で完結することこそ 「京都人」 の条件になるような、超狭隘都市。
自転車はあちこちで死の暴走を繰り広げてるものの、所謂 「車社会」 ではないと言えるでしょう。
では、中心部から外れた京郊の住宅地が 「車社会」 化してるかといえば、これまた案外、微妙。
「車社会」 化してる側面も大いにありますが、同時に府南部・山城エリアは、鉄道網が極めて充実。
車がなくても、割と生活できたりします。私自身も、そうだし。八幡も、割に便利なんですよね。
そんな京都ですが、府域には実に 「車社会」 な所も、なくはありません。京丹波町が、そうです。
京丹波町。その名の通り、丹波のど真ん中に位置し、鉄道との縁がかなり薄い自治体であります。
江戸期は山陰道の要衝として栄えましたが、明治になると鉄道・山陰線が此処を迂回する形で開通。
陸の孤島になるかと思いきや、現代に入るとモータリゼーションが進行して、一気に 「車社会」 化。
現代の山陰道・R9は激烈に混み、そのため縦貫道が出来たら今度は道の駅が雨後の筍の如く林立。
車の所有率も京都トップとなり、ある意味、京都の 「車社会」 文化の最先端を行くようになりました。
人口はしっかり減ってますが、私の本籍地たる隣の南丹よりは妙に景気良さげに見える町です。
そんな京丹波町が、車ではなく食のイベントとして毎年開催してるのが、 『京丹波・食の祭典』 。
食材の宝庫・丹波にて、収穫が盛んな秋に、その食材を活かしたグルメを楽しむイベントであります。
となれば、丹波的でアーシーなノリが渦巻いてるかと思ったら、行ってみると何か違うんですよね。
不思議なくらい、現代的で普通だったんですよ。 「車社会」 的 or イオン的に感じられたというか。
車でしか行けない所で、かなりのキャパでイベントやれば、そうなるのも道理といえば道理ですが、
そんなノリに驚き、そして興味深く感じながら、私は丹波の食をあれこれ食いまくったのでした。
食い物ばかりの写真から、私が感じた 「車社会」 な感じ、多少は伝わるでしょうか。
車でしか行けない所に、車のない私が向かうには、JR園部駅からJRバスに乗るしかありません。
請願により生まれた省営バスの後裔・園福線で、山陰線忌避の原因となった観音峠を、一気に突破。
峠を抜けて、さらに縦貫道のICを過ぎると、走ってたR9は突如4車線化します。京丹波町に到着です。
あ、13時頃に乗ったバス、客は中高年が数名。 『食の祭典』 目当てらしき観光客の姿は、全然なし。
『食の祭典』 会場は、もうちょっと先の丹波自然運動公園。4車線化したR9を、しばらく走ります。
亀岡&南丹のR9を見慣れた眼には、全く異次元の光景です。回りが田んぼばかりなのも、妙という。
本当に妙で、思わず下衆な勘繰りをしたくなりますが、単にIC対応+車多過ぎで拡幅したそうですよ。
「なら亀岡はもっと車多過ぎだろ」 とか思ううちに、バスは公園前に到着。降りたのは、老人3~4人。
来ました、丹波自然運動公園。名の通り、自然溢れる環境で運動に励むための公園であります。
具体的に説明するなら、太陽が丘の丹波版といえばわかるでしょうか。余計にわからないでしょうか。
出来たのは、蜷川府政が華やかなりし頃の、1970年。府政100周年を記念して出来たという施設です。
現在は、ロードレースでも有名なこの公園ですが、今日は 『食の祭典』 の舞台。入ってみましょう。
『食の祭典』 ゲートは、北側の門。毎年こうなのかは知りませんが、とにかく歩いて向かいます。
着いたら、予想してたアーシーなノリとは違って、野外フェス的な雰囲気で会場が展開されてました。
野外公園の芝生上に露店が並ぶスタイルで、椅子がある飲食スペースが2~3区画と、ステージあり。
その外側は運動公園然とした公園が広がり、シート敷いてピクニック状態の親子連れとかもいたり。
『祭典』 、客は多し。そして、雰囲気が若い。年齢層は烏合の衆ですが、グダグダ感は希薄。
「芋の代わりに栗を食う芋煮会」 みたいな雰囲気を勝手にイメージしてましたが、全然違いましたよ。
露店の数は、30ちょっと。最初にチケットを買うとかのシステムではなく、普通に現金で払うシステム。
その場で食うものは概ね、釣銭を考慮してか500円に価格設定されてました。では、食いまくります。
まず食うのは、京丹波町下大久保の耳うどん。京都にもあったんですね、耳うどん。
尤も、最近開発されたものらしいですけど。ただ、うどんファンとしては、見逃せません。食います。
正直、今日はこれを食うために此処まで来た、耳うどん。味は、ごく普通に耳うどん。
出汁や具も、同様。ただ梅干は、ガチ。親が漬けた梅干みたいでした。丹波の傾向なんでしょうか。
で、とりあえず所期の目的を果たしたので一服し、公園然とした公園を眺める。
別の方向を向き、広過ぎてどれくらい広いのかよくわからん公園全体も眺める。
また向きを変え、イベントのレクリエーションか何かに励むエリアとかも眺める。
で、少し腹がこなれたら、今度は数行きます。まず、無双心のラーメン。
続いて、多分道の駅にある京丹波食堂の、自然薯とろろの蒸し温そば。
そして、紀陽軒のおこわ丼。正直、100%冷やかしで食ったけど、何とも美味かった。
丹波名物を甘辛不問でブチ込みながら、中華味飯がそれを奇跡的にまとめてるという。いい仕事。
京丹波ポークは、バーガーに惹かれるけど炭水化物を避け、フランク。
で、ある程度の量をこなした後は、かなり疲れたので、休憩所を何となく眺める。
しかし終了時間は近いので、休む暇はないと思いながら、露店ゾーンを眺める。
で、多少腹がこなれたら、仕上にかかります。山下秀製菓のそば団子。
そしてラストは、京丹波町に工場がある石井の工場直送ミートボール。
で、仕上がったら、終了告知を聞きながら、どっかのゆるキャラを呆然と眺める。
弾き語り系のライブをやってたステージで、おこわ丼が表彰されるのも眺める。
とかやってるうちに、終了時刻の15時となりました。早いですが、ゲートに見送られて帰ります。
私が感じた 「車社会」 感、単なる食い物の絵面の連続からでも、しっかり感じてもらえたことでしょう。
現代の府域に於ける交通・生活・文化の実態を正確に捉えた、優れた論評。我ながら、そう思えます。
単にこのゲートがハンドルに似てるから 「車」 を連想したなんてことは、決して、断じて、ありません。
帰るんですが、「車社会」 ゆえ次のバスは1時間半後。暇なので、追いつかれるまで歩きます。
バイクが駆けるR9へ進入する際、栗が普通に路傍へ落ちてました。何とも、丹波感溢れる光景です。
こんな土地ゆえ此辺、農学校が建った過去もあり。東大&北大の農学部に並ぶ可能性もあったとか。
豪勢な校舎を建てたのに、生憎3年で廃校。校名の 「パイ食わねぇか」 書体に、呪いを感じたりして。
さらに歩くと、また府のやらかし遺産に会えました。1988年京都国体のマスコット・未来くんです。
名に反した過去感溢れるウェザリングが、何ともサイバーパンク。撤去すると、府が怒るんでしょうか。
さらにさらに歩き、 「亀岡・八木・園部のR9に漂うしみったれた感じが異常にないな」 などと思ってると、
バスに追いつかれたので、道路行政のやらかし遺産みたいなそのR9を走り、園部へ戻りましたとさ。
『祭典』 では、御土産も買いました。帰ったら、直ちに食べます。もちろん、ひとりで。
まずは、菓歩菓歩の米麹クッキー。クッキーと米菓の間の食感をグレードアップした感じで、美味。
そして本命の、焼き栗。確か、和知の道の駅・和が出してた露店で買ったものです。
絶対に現場ですぐ食うべきですが、すぐ腹パンパンになるので、泣く泣く持ち帰りました。が、美味。
『京丹波・食の祭典』 、この日の客層は、8割が家族連れ。
他は、単独以外のあらゆる層がちょっとずついるという、先述通りに烏合な感じ。
といっても当然、ほとんどの人が地元系で、観光系に見える人の姿は限りなくありません。
普通じゃなさ過ぎるくらい普通じゃないDQN家族が稀にいますが、基本は極めて普通な雰囲気。
年齢層も完全に烏合ですが、比較的若い人が多いのは、印象的です。もちろん、老人も多し。
単独は、物好き系か、単に何かを食いに来た近所のおっさん系くらいでした。
そんな京丹波・食の祭典。
好きな人と行けば、より京丹波なんでしょう。
でも、ひとりで行っても、京丹波です。
【客層】 (客層表記について) カップル:若干 女性グループ:若干 男性グループ:若干 混成グループ:微 子供:0 (親子連れにカウント) 中高年夫婦:若干 中高年女性グループ:若干 中高年団体 or グループ:8 単身女性:ほぼ0 単身男性:微 |
【ひとりに向いてる度】 【条件】 |
京丹波・食の祭典
毎年10月下旬 丹波自然運動公園にて開催
京丹波・食の祭典 – 公式
京都府立丹波自然運動公園
京都府船井郡京丹波町曽根崩下代110ー7
JRバス園福線 自然運動公園前下車すぐ
京都府立丹波自然運動公園 – 公式